杷木町(読み)はきまち

日本歴史地名大系 「杷木町」の解説

杷木町
はきまち

面積:四四・九八平方キロ

朝倉郡の南東部、大分県との境に位置する。東は同県日田市、西は朝倉町、南は浮羽うきは浮羽町・吉井よしい町、北は甘木市と小石原こいしわら村に接する。英彦ひこ山・古処こしよ山地の南部にあたり、町の総面積の七割は山林地帯、残りの約三割が農地である。町名は古代上座かみつあさくら把伎はき(和名抄)の郷名による。南端を筑後川が西流し、同川の支流大肥おおひ川が北東端を流れ、赤谷あかだに辺りを源流とする赤谷川が筑後川北岸の林田はやしだ付近へ流れ込んでいる。町域は筑紫ちくし平野発端部にあたる。町域南東端の針目はりめ山から筑後川に派生した尾根に古代山城跡の杷木神籠石はきこうごいしがある。西端の麻底良まてら(二九四・九メートル)の東側辺りは、斉明天皇の朝倉橘広庭あさくらのたちばなのひろにわ宮の所在地に比定する説が有力である。同山には上座郡の式内社良布まてらふ神社があり、天平一九年(七四七)行基が開基したと伝える普門ふもん院が社坊であった。筑後川沿いに大宰府から豊後国府に向かう西海道豊後路が通ったと考えられ、把伎駅が町内に比定される。大宝三年(七〇三)観世音寺(現太宰府市)へ施入された上座郡薗地四九町のなかに「把伎」がみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報