日本歴史地名大系 「板知屋村」の解説 板知屋村いたちやむら 大分県:臼杵市板知屋村[現在地名]臼杵市板知屋海添(かいぞえ)村の東、臼杵湾の湾奥に位置し、東は大泊(おおとまり)村。かつて当浦に住んでいた猪崎氏が丹生島(にゆうじま)に遊んだ際射た弓が、当浦に突き立ったため射立矢(いたちや)とよばれるようになったという(臼杵小鑑)。大泊村の枝村であるため、郷帳類には記載がない。江戸時代中期と推定される臼杵領石高帳には大泊村のうち板地屋分として高六〇石余、田方五町余・畑方二町余、免六ツ五歩。寛文七年(一六六七)の巡見帳によると家数一八(臼杵小鑑)。「両豊海上行嚢抄」によると当浦湊は北風に不向きで、二〇町沖合には黒波石があるという。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by