日本歴史地名大系 「枝ノ宮八幡神社」の解説
枝ノ宮八幡神社
えだのみやはちまんじんじや
祭神は応神天皇ほか。旧村社。徳治元年(一三〇六)の勧請と社記にみえ、元応元年(一三一九)一〇月三日付の吉川一心譲状(吉川家文書)に「江たのミや」と記す。なお「大朝町史」によれば、応安七年(一三七四)当社棟札に「三輪荘大麻三荘鎮守枝宮」とあるという。嘉吉元年(一四四一)宝殿造立棟札がある。また天正三年(一五七五)の吉川元春同元長社殿再建棟札(社蔵)によれば吉川氏との関係の深さが知られ、現社殿はこのときの再建で県の重要文化財に指定。
元和二年(一六一六)の枝宮八幡宮抱所末社之覚(森脇家蔵)に「一枝宮八幡宮、一養性寺八幡宮、一宮原藤権現、一馬場大明神、一大塚村劔大明神、一筏津三権現、一同所大利、一田原村大にご、一大塚村二ケ所山神」とみえ、これらが枝宮神主甚太夫の支配下にあった。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報