馬場(読み)うまば

精選版 日本国語大辞典 「馬場」の意味・読み・例文・類語

うま‐ば【馬場】

〘名〙
① 乗馬の練習などをするための広場。ばば。馬乗馬場(うまのりばば)
※宇津保(970‐999頃)祭の使「左大将のぬし、てつがひ給はんとて、むまばについ給へりけるを」
② 良い馬の産地。うまどころ。

ば‐ば【馬場】

〘名〙 乗馬の練習をする場所。馬術の練習や競技をするのに用いる平地。うまば。
菅家文草(900頃)九・為侍従等請引駒日賜幄座状「比馬場、出居大夫、高昇殿上

ま‐ば【馬場】

〘名〙 山仕事に出た馬の溜(たま)り場となる、山間のせまい平地。山で伐採した木を集めておく場所や休み場などにも利用する。馬止(まどめ)

ばん‐ば【馬場】

〘名〙 「ばば(馬場)」の変化した語。
※狂言記・富士松(1660)「此のばんばを越えれば」

ばば【馬場】

姓氏の一つ。

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デジタル大辞泉 「馬場」の意味・読み・例文・類語

ば‐ば【馬場】

乗馬の練習や馬術競技、また競馬をする場所。
[類語]運動場競技場グラウンドコートコロシアムスタジアムトラックフィールド野球場サッカー場ピッチゴルフ場スキー場ゲレンデ競馬場パドックスケートリンクサーキットホームグラウンド

うま‐ば【馬場】

乗馬の練習やくらべ馬をする場所。ばば。
よい馬の産地。

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日本歴史地名大系 「馬場」の解説

馬場
ばば

[現在地名]金沢市東山ひがしやま三丁目・小橋町こばしまち

森下もりもと町の西に位置。南西から北東に向かう六つの通りを挟む両側町で、南から一―六番丁に分れる。通りの長さは一―六番丁まで順に約二町三間、約二町五二間、約二町一四間、約二町一二間、約一町五〇間、約二五間(皇国地誌)。六番丁の北西は水車みずぐるま町。町名は南西の関助せきすけ馬場にちなみ(金沢古蹟志)、関助馬場何番丁・関助何番丁ともよばれていた(元禄六年侍帳)。「稿本金沢市史」によれば万治二年(一六五九)小松に居住していた藩士が一月から四月にかけて残らず金沢へ引越し、関助馬場近辺に家を建てたといい、延宝町絵図によれば若干の地子地はあるものの整然と邸宅が居並んでいたことが知られる。

馬場
ばば

[現在地名]加賀市大聖寺馬場町だいしようじばばまち

大聖寺藩邸の南側に接する武家町で当初は山崎・生駒両家老邸とその東に馬場があるだけであった(延宝元年以前の「大正持絵図」金沢市立図書館蔵)。天明六年(一七八六)の大聖寺絵図ではなか町・越前えちぜん町・せき町との境が堀で画され、馬場の東、中町との間に村井・中川氏らの屋敷と北端熊坂くまさか川・穴虫あなむし川合流地付近に百人長屋があり、生駒・山崎邸の南、越前町・関町との間に山崎図書・前田靫負など重臣屋敷が並ぶ。天明以前の大聖寺図(金沢市立図書館蔵)によると南東隅は火除地で、生駒・山崎邸の前の道を「渋谷小路」といった。

馬場
ばば

[現在地名]水戸市城東じようとう二丁目

荒神あらがみ橋から新寺しんてら橋へ通ずる片側町で、西は代官だいかん町。馬乗馬場ばじようばばともいう。町の前面は調馬場で側に松並木があった。「水府地名考」に「安永天明の比まてハ上町馬場うわまちばばと此所にて馬揃とて隔年に御厩の馬と御家中馬を曳き集め馬乗の族責馬をなす」とある。

馬場
ばば

[現在地名]相馬市中村なかむら 新町しんまち

みなみ町とも記される。御小人おこびと町の南、新町の北に並行する東西一二一間の通りで、西は御徒士おかち町、東は泉田いずみた町に接する。馬場の名は、文久三年(一八六三)に調馬場が置かれたことに由来する。

馬場
ばんば

[現在地名]小矢部市城山町しろやままち観音町かんのんまち八和町やつわまち

今石動城のあったしろ山の南東麓に位置し、天正一四年(一五八六)からの城下町建設時には、城代の篠島氏屋敷や馬場があった。廃城後は加賀藩役屋である今石動町奉行所と町奉行与力の役屋敷、藩主などの宿泊施設の御旅屋、高札場が置かれた。

馬場
ばば

[現在地名]赤穂市加里屋かりや

池田氏の時代、城の大手堀際より北は随鴎ずいおう寺までの二町半の川端堤防にあった幅五間の馬場。中央より南の堤の下に三間・二間半の小板屋の馬見所西向きに三匹立ての外繋ぎがあった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「馬場」の意味・わかりやすい解説

馬場 (ばば)

乗馬,馬術の練習および馬術競技や競馬を行う場所。古代には端午の節会に天皇が騎射を観覧した馬場が朝廷の武徳殿の前にあり,近衛府,兵衛府にも調練のための馬場があった。古代には国家の軍馬供給を目的とするが各地にあったが,これを基盤に古代末から中世にかけて東国を中心に勢力を伸ばした武士は,その軍事力の基礎を騎馬と弓射においた。各地に残る馬場という名には,この牧に由来するものもあると考えられる。また中世武士団の拠点となる広大な豪族の館の中にも必ず馬場があり,戦闘の際の馬揃(うまぞろえ)(勢汰(せいぞろえ))もここで行われた。騎射は犬追物(いぬおうもの),流鏑馬(やぶさめ),笠懸(かさがけ)などの形で中世武士にうけつがれ,そのための馬場も作られている。神社などでも祭礼に際して臨時の馬場が設けられることが多かった。武士が集住させられた各地の近世城下町においては,城内および城外に馬場が必ず置かれた。江戸では城内の吹上御庭に,城下にも神田,馬喰町,木挽町,溜池,十番,高田,小日向小石川,浅草,本所などにあったことが知られる。これらの馬場は土塁および垣(埒(らち)という)で囲われ,長さが100間ほどあるのに幅は10間ほどという細長い形が多いが,これは馬を一直線に走らせて弓矢を射る流鏑馬,笠懸のような競技が多かったためである。〈初音の馬場〉と呼ばれた馬喰町馬場は,関ヶ原の戦の馬揃を行ったという伝えのある古くからの馬場で,明暦大火(1657)後に縮小された。それでも天和年中(1681-84)までは流鏑馬のできる2町(120間)の長さがあった。しかし都市の稠密化でしだいに縮小され,幕末には半分以下の長さになっている。現在も地名として残っている高田馬場は寛永期(1624-44)に設けられたものである。中山安兵衛の仇討で知られるが,享保期(1716-36)には8代将軍吉宗が流鏑馬を盛大に行ったことでも有名である。また享保期,火災焼失後の明地に作られた木挽町(現在の東銀座付近)の采女ヶ原(うねめがはら)馬場は,地の利がよかったことから,馬場周辺が歓楽地としておおいに発展した。
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山川 日本史小辞典 改訂新版 「馬場」の解説

馬場
ばば

馬術の練習や競技を行う場所。古代には朝廷の武徳殿の前にあり,端午の節会には走馬(はしりうま)の儀式が行われた。近衛府・兵衛府にもあった。古代末~中世に武士の戦闘は騎馬と弓射を基本としたため,犬追物(いぬおうもの)・流鏑馬(やぶさめ)・笠懸(かさがけ)などのための馬場が各所に作られた。近世には城下町の城内・城外に作られた。江戸の馬場としては城内の吹上御庭,城下の神田・馬喰町・木挽町・高田などが有名。

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世界大百科事典(旧版)内の馬場の言及

【触媒】より

…石灰窒素(シアン化カルシウムと炭素の混合物)法が工業化され(1905),チリ硝石(天然硝酸ナトリウム)の枯渇に備えるなどの動きがあったころである。F.ハーバーは1909年ついに,空気中の窒素を原料に,触媒を用いてアンモニアの連続合成実験に成功した。彼はアンモニア合成反応が平衡上高圧であるほど有利になることをよく認識していた。…

※「馬場」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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