大朝村
おおあさむら
[現在地名]大朝町大朝
北の寒曳山と南の加計山との間に開けた大朝盆地の中央部に位置する。集落は大塚川・大谷川・田原川が合流して可愛川となる氾濫原を中心に開ける。石見浜田路が東の新庄村から当村に入り、北西の大塚村へ抜ける。西は筏津、南西は田原、北は石見国上田所(現島根県邑智郡瑞穂町)の諸村に接する。
村域内には縄文遺跡として枝ノ宮遺跡・原山遺跡があり、弥生遺跡には鵜子原遺跡のほか、枝ノ宮遺跡や原山遺跡からも弥生後期土器が出土する。横穴式石室をもち、副葬品に鏡・武器・馬具・土師器・須恵器を伴う古墳として枝ノ宮の大畠古墳・東山古墳、間所の慶庵古墳・塚ヶ谷古墳群・後谷古墳、九門明の腿切古墳、茅原の見セ火古墳・竜岩古墳群・大原古墳、大番古墳、二股谷の七塚原古墳群、小枝古墳群、原山古墳群など多数がみられる。
「三代実録」貞観元年(八五九)三月二六日条に「安芸国正六位上大麻天神」が従五位下を授けられたことが記されるが、これが大朝の地名の初見と考えられる。同天神は鎌倉時代の「安芸国神名帳」に「大麻明神」とみえ、「芸藩通志」は「大朝村に云伝ふるには、昔この村に少彦名を祭る、京五条天神と同じ神なりしが、中古祠廃しければ、神体を小祠威徳天神に遷し奉り併せ祭る、(中略)大朝村の文字も昔は大麻と書きしなり」と記す。「天台座主記」文永五年(一二六八)一一月の記事に、叡山西塔領として「大朝庄」がみえる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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