桂萱郷
かいかやごう
「和名抄」高山寺本・東急本ともに「加以加也」と訓ずる。宮城県多賀城跡出土の木簡のなかの一つに「挂草郷 戌戌戌」と墨書されたものがある。年次未詳であるが、伊治公呰麻呂の乱(七八〇)で焼失後の復興期のものとみられ、「挂草郷」は桂萱郷に比定されている。郷域は「大日本地名辞書」は「桂字に加以の訓あるは疑ふべし、加太の譌にて、即今の片貝にあたるべし」として、現前橋市東片貝町・西片貝町を中心に岩神町・国領町を含めた地とする。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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