椎尾村(読み)しいおむら

日本歴史地名大系 「椎尾村」の解説

椎尾村
しいおむら

[現在地名]真壁町椎尾

筑波山北麓、桜川左岸にあり、東は山田やまだ村、南は酒寄さかより村。古くから別名の形成が進んだ地で、弘安大田文に「椎尾国貞十丁三段」「同貞則十八丁八段」「同助貞十一丁二段」とあり、康永二年(一三四三)一月九日の鹿島神宮領田数注文案(鹿島神宮文書)に「椎尾助貞一丁 石光八段」とある。「寛文朱印留」に「椎尾村」とあり、江戸初期は笠間藩領であったが、のち南北に分村し、延享四年(一七四七)北椎尾きたしいお村は村高七六一・九二四石のうち五五・七八〇七石を南椎尾村に分郷して天領となり、宝暦一三年(一七六三)から下妻藩井上氏領に変わった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

苦肉の策

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android