別符(べっぷ、べふ、びゅう)、別符名(みょう)ともいう。平安時代末期に成立した土地制度の一形態。1031年(長元4)の散位藤原守仲(もりなか)譲状(ゆずりじょう)(『平安遺文』4614号)に初見。国衙(こくが)が旧来の徴税領域である郡・郷のほかに特別の符宣をもって成立させた特別区域で、収納主体・収納方法が郡・郷とは相違する。国衙は、荒廃していく公田を維持していくために、在地有力者に国衙のもつ勧農沙汰(さた)権を委譲して荒田を開墾させ、同時にその地の年貢納入を請け負わせたところに成立した。別名には下地(したじ)と得分(とくぶん)の別名がある。下地の別名とは、一定地域内の開発を前提として別個の名(みょう)であることを国衙から承認された経営単位である。得分の別名というのは、所領地が周辺地の所領経営内に包摂されていて、給主は国司の別納徴符を得て、そこからもっぱら得分のみを収取するものをいう。また別名と別結解(べちけちげ)とは異なる。別結解とは、当該田地の徴税いっさいが給主の手によらず、もっぱら国衙の手で行われ、国衙から給主に所定得分が渡るものをいう。別名・別符などと並んで別符の保というものが成立したが、これは別名の一類型。このように、各地に成立した別符で、のち地名化したものがあり、大分県別府市はその代表例である。
[奥野中彦]
『坂本賞三著『日本王朝国家体制論』(1972・東京大学出版会)』▽『大山喬平著『日本中世農村史の研究』(1978・岩波書店)』
本来別納(べちのう)の名(みよう)の意で,11世紀の半ば以降,公領の荘園化を防ぐため国衙が在地有力者の私領確保の欲求に妥協しつつ,開発をみとめ官物・雑公事の納入を請け負わせたことから成立した土地制度上の一呼称。〈べつみょう〉ともいう。別名領主の大部分は郡郷司や在庁官人であり,一般に別名の成立は国衙近傍の地域で著しい。別名の史料上の初見は1102年(康和4)丹波国の米光保の作田について〈公験の限りあるにより立券荘領せしむるといえども,米光保においては別名を申請するところなり〉という丹波国司下文である。また75年(安元1)9月宇佐宮の貫首漆島並清が,一族の郷司並実からの臨時雑役・田率雑事の賦課を免れるため,豊前国辛島郷時成名内元里名田を別名とすることを申請して大宮司から認められた例のように,一族内で別納権を確立するため別名とすることもあった。なお旧来の郡-郷制の解体にともない成立する郡,郷,院,保,条,名など多様な名称の所領が,支配・収取の単位として成立し,並列的に存立する状況を一般に別名制と呼んでいる。
執筆者:工藤 敬一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
「べちみょう」とも。11世紀以後,国衙(こくが)領内でみられる所領単位。郡を通じて国衙に年貢を納める通例のルートと異なり,特別の徴符によって国衙に直接納めたことからこの名がある。平安後期には,国衙の在庁官人たちがみずからの開発地や買得地を別名とすることが盛んに行われ,在地領主層の私領形成の運動の一段階に位置づけられる。九州では別符(べっぷ)とよばれることが多い。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
…〈べつみょう〉ともいう。別名領主の大部分は郡郷司や在庁官人であり,一般に別名の成立は国衙近傍の地域で著しい。別名の史料上の初見は1102年(康和4)丹波国の米光保の作田について〈公験の限りあるにより立券荘領せしむるといえども,米光保においては別名を申請するところなり〉という丹波国司下文である。…
…新田神社の例名(常見免田)は,古くから国衙から認められて神社の用途にあてられてきた免田(名)という意味で用いられている。矢野荘の場合は,1167年(仁安2)に,以前から同荘の本家であった美福門院得子(鳥羽后)が,同荘の一部を,その御願寺である歓喜光院に寄進したが,そのとき,歓喜光院に寄進された分は,荘田の一部を特別に切りあてられたので別名(べちみよう)とよばれ,残りの荘田は,それに対して,従来どおり美福門院が領有したので,例名とよばれた。それ以後,例名と別名とは別々の荘園領主をもつこととなった。…
※「別名」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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