改訂新版 世界大百科事典 「楊本荘」の意味・わかりやすい解説
楊本荘 (やなぎもとのしょう)
大和国城上郡(現,奈良県天理市)の荘園。〈やぎもとのしょう〉ともいう。1000年(長保2)の造東大寺返抄に柳本荘とあるのが史料的初見。大乗院家草創当初からの根本所領12ヵ荘のうち,荘域が城上郡の15,16,17各条にまたがる最大規模の荘園であった。70年(延久2)の興福寺大和国雑役免坪付帳によると,平安中期には楊本北荘,同南荘に分かれ,国衙領や他領と入り組み散在していた。鎌倉時代には〈三箇院家抄〉によると,南北両荘のほかに興田荘の名がみえ総田数101町余であった。室町時代の楊本荘は《大乗院寺社雑事記》文明17年(1485)9月26日条に所収されている楊本荘絵図によって知ることができる。荘の支配機構は,領家大乗院の下に預所があり,大乗院門跡政所職であった御後見が補任された。預所の下に中司がおり,領家と現地の連絡機関として,定使,郡使があった。荘官の下司職は,大和国造の子孫楊本氏が相承した。
執筆者:橋本 初子
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