大乗院寺社雑事記(読み)ダイジョウインジシャゾウジキ

デジタル大辞泉 「大乗院寺社雑事記」の意味・読み・例文・類語

だいじょういん‐じしゃぞうじき〔ダイジヨウヰンジシヤザフジキ〕【大乗院寺社雑事記】

大乗院の第19世門跡である尋尊日記宝徳2年(1450)から永正5年(1508)に至る。応仁の乱前後の政治経済社会を知る上での重要史料。

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精選版 日本国語大辞典 「大乗院寺社雑事記」の意味・読み・例文・類語

だいじょういんじしゃぞうじき‥ヰンジシャザフジキ【大乗院寺社雑事記】

  1. 室町時代の日記。一八四冊。興福寺大乗院門跡尋尊(興福寺第一八〇代別当)の日記。宝徳二年(一四五〇)から永正五年(一五〇八)に至る間の、興福寺・春日神社関係の諸事実を記録する。応仁文明大乱下剋上世相などを克明に描き、史料価値は大きい。

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改訂新版 世界大百科事典 「大乗院寺社雑事記」の意味・わかりやすい解説

大乗院寺社雑事記 (だいじょういんじしゃぞうじき)

興福寺大乗院第19世門跡尋尊(じんそん)の日記。その自筆本が,《寺務方諸廻請》12冊,《大乗院寺社雑事記》167冊,《尋尊大僧正記》20冊に分かたれ,内閣文庫に所蔵されている。なお《安位寺殿御自記第五十二》として《経覚私要鈔》に混入されている1冊(長禄3年11~12月)も尋尊の日記である。日次記は,1450年(宝徳2)1月1日から1508年(永正5)1月17日まで約60年間の長きにわたっている。日次記のほかに,長禄四年若宮祭田楽頭記(第8冊),寛正五年河原勧進猿楽記(第23冊),寛正五年若宮祭礼馬長頭方(第27冊),文明三年慈恩会記(第48冊),文明七年維摩会講師方条々(第62冊),文明十三年東大寺別当職事条々(第78冊),文明十五年印鎰舁之中綱問答記(第86冊),文明十七年能登岩井両河用水相論条々(第98冊),長享二年東山殿御庭木方(第119冊),永正元・三年諸引違引付(第169冊)などの別記が含まれる。

 尋尊は一条兼良の子で,1438年(永享10)9歳のとき,将軍足利義教の勘気にふれ隠居した経覚の跡をうけて大乗院に入室し門主となった。彼の周囲には,隠居後も隠然たる勢力を有する経覚,台頭しつつあった衆徒・国人等の在地勢力,幕府・隣接守護大名等の外圧があり,これらと対抗しつつ崩壊過程にあった寺領荘園の経営維持に苦心しなければならなかった。したがってその記述は,寺内事柄にとどまらず,応仁の乱前後の公武の情勢,国人・土一揆など在地勢力の動向など広範囲におよび,室町中末期の政治・経済・社会研究の重要史料である。《大乗院寺社雑事記》全12巻が刊行され,これには上記の日記のほかに,尋尊が大乗院所蔵の日記類から抄出した《大乗院日記目録》4冊(1065-1504)を付収している。《続史料大成》にも収録。
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日本歴史地名大系 「大乗院寺社雑事記」の解説

大乗院寺社雑事記(大乗院雑事記)
だいじよういんじしやぞうじき

別称 尋尊大僧正記ほか

分類 日記

原本 内閣文庫ほか

解説 大部分が大乗院門跡尋尊の長禄三年四月から永正五年正月まで五〇年間の日記であるが、一部、尋尊の門嗣経尋の日記も含まれる。名称も後年の補修の際「尋尊御記」などと記されたものもあるが、明治以降、内閣文庫においてこれら一切に「大乗院寺社雑事記」と外表紙をつけた。寺社とは興福寺と春日社をさし、応仁の乱を中心とした室町・戦国期の政治・経済・宗教・芸能など各面にわたる信憑性の高い史料。刊本には尋尊の前代門主経覚の日記「安位寺殿御自記」に混入している尋尊の日記の個所、尋尊の興福寺別当在任中の日記「寺務方諸廻請」(宝徳二年正月―長禄三年三月)、さらに尋尊編著の「大乗院日記目録」(治暦元年―永正元年)を付収している。

活字本 「大乗院寺社雑事記」(昭和六―一二年)ほか

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百科事典マイペディア 「大乗院寺社雑事記」の意味・わかりやすい解説

大乗院寺社雑事記【だいじょういんじしゃぞうじき】

奈良興福寺大乗院門跡尋尊(じんそん)・政覚(せいかく)・経尋(きょうじん)の日記の総称。内閣文庫蔵。うち1450年―1508年の約60年間にわたる尋尊の日記は,応仁・文明の乱前後の社会情勢,土一揆,世相などを克明に描写した,室町中・末期の重要史料。この尋尊記と《大乗院日記目録》をあわせた《大乗院寺社雑事記》全12巻が公刊されている。
→関連項目高屋城天王寺吉崎

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「大乗院寺社雑事記」の意味・わかりやすい解説

大乗院寺社雑事記
だいじょういんじしゃぞうじき

奈良興福(こうふく)寺大乗院第19世門跡(もんぜき)尋尊(じんそん)の日記。自筆本が『寺務方諸廻請(じむかたしょかいじょう)』12冊、『大乗院寺社雑事記』167冊、『尋尊大僧正記(だいそうじょうき)』20冊に分かたれ、国立公文書館に所蔵されている。『安位寺殿御自記(あんいじどのごじき)』52冊も尋尊の日記である。日次記(ひなみき)は1450年(宝徳2)から1508年(永正5)にわたる。このほか別記として、長禄(ちょうろく)4年(1460)若宮祭田楽頭記(わかみやさいでんがくとうき)、寛正(かんしょう)5年(1464)河原勧進猿楽記(かわらかんじんさるがくき)、文明(ぶんめい)3年(1471)慈恩会記(じおんえき)などが含まれている。内容は、興福寺の寺務、寺領支配などのほか、応仁(おうにん)の乱前後の幕府・守護大名・公家(くげ)の動向、国人・土一揆(どいっき)など在地勢力の動きにまで及び、室町中・末期の重要史料である。刊本『大乗院寺社雑事記』(12冊)がある。

[小泉宜右]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「大乗院寺社雑事記」の意味・わかりやすい解説

大乗院寺社雑事記
だいじょういんじしゃぞうじき

興福寺の大乗院の門主尋尊 (1430~1508) ,政覚 (1453~94) ,経尋 (1498~1526) の3代にわたる公式の日記類。約 190冊。宝徳2 (1450) ~大永7 (1527) 年まであり,興福寺,春日社の諸行事,興福寺中最も有力であった大乗院領諸荘園のこと,大和の衆徒,国民ら下級の人々の動向や畿内の武士同士の衝突など,記事が豊富である。尋尊の前の門主経覚 (1395~1473) にも日記類があるが,一般には『経覚私要鈔』と呼び,『大乗院寺社雑事記』には含めない。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「大乗院寺社雑事記」の解説

大乗院寺社雑事記
だいじょういんじしゃぞうじき

興福寺大乗院門跡尋尊(じんそん)の日記。尋尊は一条兼良の子。収録期間は1450~1508年(宝徳2~永正5)の応仁・文明の乱をはさむ約60年間に及ぶ。寺内の行事・人事および組織,寺領荘園の経営,大乱前後の大和・河内の情勢,京都の幕府や貴族層の動向をはじめ,政治・社会・経済・文芸など諸方面にわたる豊富な内容をもつ。自筆原本(重文)は内閣文庫蔵。日記は書状類などの裏に記され,本文と密接に関連する同時代の多くの古文書群が紙背に残される。歴代の門跡である尋尊・政覚・経尋3代の各日記を総称していう場合もある。「増補続史料大成」所収。

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旺文社日本史事典 三訂版 「大乗院寺社雑事記」の解説

大乗院寺社雑事記
だいじょういんじしゃぞうじき

室町時代,興福寺大乗院門跡の日記
1450〜1527年の約80年間,門跡の尋尊 (じんそん) ・政覚 (せいかく) ・経尋 (けいじん) の3人によって書き継がれた日記約190冊とその他の記録約70冊よりなる。興福寺および春日神社関係の事件の日々の記録ではあるが,応仁の乱前後の土一揆・座の記事をはじめ,政治・経済・社会・宗教などの研究に貴重な史料である。

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世界大百科事典(旧版)内の大乗院寺社雑事記の言及

【尋尊】より

…また大乗院や興福寺の先例や所領などの記録を収集し筆写した。前後50年にわたる日記《大乗院寺社雑事記》をのこしたほか,《大乗院日記目録》《三箇院家抄》《七大寺巡礼記》《大乗院門跡領目録》など多くの記録をのこした。尋尊の面目は,下剋上の時代の証言者である点にあったといえよう。…

【大乗院】より

…明治維新の廃仏毀釈と上地により,院主は還俗(げんぞく)して松園氏を称した。《大乗院寺社雑事記》をはじめ,多くの大乗院文書が残されている。【堀池 春峰】。…

※「大乗院寺社雑事記」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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