城上郡(読み)しきのかみぐん

日本歴史地名大系 「城上郡」の解説

城上郡
しきのかみぐん

現桜井市東北部などを占めた郡。古くは城下郡とともに磯城しき県・磯城郡の地域で、「日本書紀」神武天皇即位前紀戊午年九月五日条に「倭国の磯城邑に、磯城の八十梟帥有り」とみえる(→磯城郡。城上郡は「日本書紀」皇極天皇三年六月三日条に「志紀上郡」、「続日本後紀」承和一四年(八四七)一二月二一日条に「大和国城上郡長谷山寺」とみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の城上郡の言及

【磯城】より

…《日本書紀》神武即位前紀には磯城邑(しきむら)がみえ,兄磯城(えしき),弟磯城(おとしき)という有力豪族がおり,後に弟磯城が磯城県主となったとある。磯城県は4~5世紀ころの成立とみられるが,その地域が中心となって奈良時代の城上(しきのかみ)郡,城下(しきのしも)郡ができる。崇神天皇の磯城瑞籬宮(みずがきのみや),垂仁天皇の纏向珠城宮(まきむくのたまきのみや),景行天皇の纏向日代宮(ひしろのみや),欽明天皇の磯城嶋金刺宮(しきしまのかなさしのみや)などが営まれたことが《日本書紀》にみえ,この地域は磐余(いわれ)地域とともに狭義のヤマトの主要部分を占め,古代の政治・文化の中心であった。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」