楽田城跡(読み)がくでんじようあと

日本歴史地名大系 「楽田城跡」の解説

楽田城跡
がくでんじようあと

[現在地名]犬山市城山

楽田小学校敷地にあたる。「府志」に「其墟東西四十間・南北五十四間、湟塁尚存、織田弾正左衛門久長築之、後為織田信清所滅、信清并領楽田、永禄中、信長逐信清、令坂井右近政尚守之、天正十二年、豊臣秀吉与信雄有隙、出軍於尾州、下塞於此地、以与小牧対陣」と記す。天正一二年(一五八四)六月四日の佐竹義重宛羽柴秀吉書状写(諸将感状下知状并諸士状写)に「小牧城中不罷出之間、不及是非、尾口・羽黒・楽田と申三ケ所、付城申付、人数弐万余入置、犬山城取続候事」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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