日本歴史地名大系 「楽田村」の解説
楽田村
がくでんむら
楽田村
がくでんむら
楽田村
らくたむら
北東は
高橋家由緒書(西津軽郡史)によれば、元禄二年(一六八九)に高橋太左衛門繁達が開拓したという。享保一二年(一七二七)には広須組に属し、川通三二ヵ村の一つで村位は下と定められた(平山日記)。元文二年(一七三七)の検地帳によれば、田畑屋敷合せて一五町九反四畝一歩、村高は九九・九二四石であった。うち田方は一二町四反八畝一六歩で九四・九九四石、上田から下々田まで設定され、上田が一町五反余、中田三町六反余、下々田二町九反余に対し、下田が四町三反八畝二〇歩、三〇・七〇七石とあり、畑方は三町四反五畝一五歩で四・九三石、下畑と下々畑のみで、下々畑が二町九反八畝一八歩、二・九八五石とある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報