歓喜力行団(読み)かんきりっこうだん

山川 世界史小辞典 改訂新版 「歓喜力行団」の解説

歓喜力行団(かんきりきこうだん)
Kraft durch Freude

ナチ時代のドイツ労働戦線の余暇利用組織。原義は「喜びを力に」。海,山に寮を建て,廉価な休暇旅行や催し物を計画し,労働者大衆ナチス独裁を支持させるための最も有効な手段を提供した。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

世界大百科事典(旧版)内の歓喜力行団の言及

【第三帝国】より

…また労働組合を解散した後につくられた巨大なドイツ労働戦線Deutsche Arbeitsfront(2000万人の構成員と3万~4万人の常勤職員)は,〈経営共同体〉を理念とした(1934年1月の〈国民的労働秩序法〉)が,単位経営ではそれまでの経営者が〈経営指導者〉とされ,〈指導者原理〉が導入された。また,ドイツ労働戦線付属の〈喜びを通じて力をKraft durch Freude〉(歓喜力行団)という組織は,労働者の余暇を組織した(観劇,スポーツ,旅行)。 しかしこうした伝統的支配層とナチ党指導部の協力関係は,再軍備の展開のなかで崩れ,再編成されることになる。…

【ドイツ】より

…また都市新中間層の間には,〈国民車(フォルクスワーゲン)〉の夢に象徴されるアメリカ文明のいっそうの浸透の中で,私的な享楽の世界への逃避が進んだ。そしてこうした動きは,余暇を享受する機会をひろげたドイツ労働戦線の〈歓喜力行団〉の活動もあって,労働者のかなりの部分をもとらえていった。こうした中で,社会民主党とりわけ共産党の側から繰り返し試みられた抵抗の動きも,社会主義者鎮圧法の時代以来の労働者独自の世界がナチスによるたび重なる弾圧で寸断されていったこととあいまって,その基盤を掘り崩されていくのである。…

【レクリエーション】より

…1932年のオリンピック・ロサンゼルス大会に合わせて,世界レクリエーション会議が開かれ,〈遊戯は諸国民を結合する〉という標語のもと,各国の余暇善用運動の成果が交換された。この会議の第2回(1936)はドイツで,第3回(1938)はイタリアで開かれ,それぞれKDF(Kraft durch Freude,日本では歓喜力行団と訳した)運動,ドーポラボーロDopolavóro(〈労働の後に〉の意)運動の紹介が大々的に行われた。いずれもファシズム体制のもと国民の余暇を組織化して,心身の鍛練をめざそうとしたもので,地域・職域に組織をはりめぐらし,勤労者の旅行サービス,スポーツ,文化活動などを活発に展開した。…

【レジャー】より

…アメリカ,西ヨーロッパなどの資本主義先進諸国でだれの目にも明らかなレジャーの大衆化現象がおこるのは,ニューディール政策,人民戦線などの構造変化を画期とする1930年代以降のことである。それに対応してナチズムもKDF(歓喜力行団)をつくり,大衆組織・統制の一環としてレジャーの組織化に大きな比重をおいていたことはよく知られている。日本でも大正期後半には権田保之助(1887‐1951)に代表されるようないくつかの〈大衆娯楽研究〉が顔をみせるし,1923年には大阪市社会部調査課編の《余暇生活の研究》(《労働調査報告》第19)といった先駆的な調査が行われるようになる。…

※「歓喜力行団」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」