殿名村・東殿名村(読み)とのめむら・ひがしとのめむら

日本歴史地名大系 「殿名村・東殿名村」の解説

殿名村・東殿名村
とのめむら・ひがしとのめむら

[現在地名]長島町殿名・東殿名

木曾川西岸にあり、北は押付おしつけ村と接し、長島城下の東南にある。殿名砦は、長島城の城主伊藤重晴の三砦の一で、伊藤修理助が拠って織田信長勢と戦った。「信長公記」天正二年(一五七四)七月一五日条に「信長御父子との妙へ打越され、伊藤が屋敷に近陣に御陣を居ゑさせられ」とあり、この戦いで落城した。砦跡は明治の河川改修工事で川中に没した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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