20世紀日本人名事典 「比嘉静観」の解説 比嘉 静観ヒガ セイカン 大正・昭和期の牧師 生年明治20(1887)年8月7日 没年昭和60(1985)年7月3日 出生地沖縄県 本名比嘉 賀秀 学歴〔年〕東京バプテスト神学校〔明治44年〕卒 経歴バプテスト教会首里伝道所の牧師となるが、大正5年伊波普猷らと自由主義的な沖縄組合教会を設立したため主任牧師と対立して8年辞任。10年ハワイのメソジスト教会日本語教師に招かれ、14年ハワイ島で黎明教会を設立、「洋園時報」を刊行。布教のかたわら民衆運動を推進した。昭和5年ハワイ島ピホヌア日本語学校校長となる。戦後ホノルルで日本語学校を開設、ウエスリーメソジスト教会牧師に就任。晩年は日本移民社会の指導者として尊敬された。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「比嘉静観」の解説 比嘉静観 ひが-せいかん 1887-1985 大正-昭和時代の牧師。明治20年8月7日生まれ。バプテスト教会首里伝道所の牧師となる。大正5年伊波普猷(いは-ふゆう)らと自由主義的な日本組合基督(キリスト)教会沖縄支部を結成。10年ハワイにわたり,布教。のちホノルルで日本語学校校長もつとめた。昭和60年7月3日死去。97歳。沖縄県出身。東京バプテスト神学校卒。本名は賀秀。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by