旺文社世界史事典 三訂版 「江南河」の解説
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…そこで都の長安から渭河に沿って広通渠,淮河(わいが)と長江(揚子江)とを結ぶ山陽瀆(さんようとく),黄河と淮河とを連ねる通済渠をつぎつぎに開いて,都から長江まで水路を直通させた。さらに黄河から北へ今日の天津付近まで永済渠を,長江から南へ今日の杭州まで江南河をつくったので,中国の東部を縦貫する大運河の骨格ができ上がった。通済渠はのちに水路を一部変更したが,これを実際に漕運に活用したのは唐代からである。…
…呉では都の建康(江蘇省南京市)から太湖へ破崗瀆(はこうとく)を通じて,蘇州方面と連絡するようにした。これが隋代の江南河のもとである。その後,東晋の桓温,宋の劉裕の北伐のときには,淮河,泗水を経て済水(清水)をさかのぼって黄河に入り洛陽に達した。…
※「江南河」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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