日本歴史地名大系 「江戸・東京」の解説
江戸・東京
えど・とうきよう
中世は太田道灌が築いた江戸城の城下、近世には徳川氏の居城である江戸城の所在地。幕末には世界最大級の人口を有する都市であった。
江戸
〔中世〕
弘長元年(一二六一)一〇月三日の江戸長重避状(関興寺文書)に「豊嶋郡江戸郷之内前嶋村」とみえるのが早い。史料上は一貫して豊島郡に属し、現在の千代田(皇居)および
室町時代江戸が水運の拠点となったことは認められる。港湾環境の整備のため平川を隅田川に向けた流路に変えたのもこの頃のことと推定されている。江戸氏は鎌倉後期には弱体化したらしく、弘長元年に江戸長重が先祖相伝の所領であった江戸郷内
長禄元年(一四五七)扇谷上杉氏の家宰太田道灌は旧荒川・入間川を防衛線として固めるため、武蔵
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報