泰勝寺跡(読み)たいしようじあと

日本歴史地名大系 「泰勝寺跡」の解説

泰勝寺跡
たいしようじあと

[現在地名]熊本市黒髪四丁目

立田たつだ山の南麓に位置する。「国誌」によれば龍田山と号し、臨済宗京都妙心寺末寺で、寺領現米二〇〇石・御寄付米三〇石。寛永九年(一六三二)豊前小倉こくら(現北九州市)より細川忠利の肥後入国後、忠興は八代城に入り、翌年父藤孝を祀る泰勝院(慶長一六年建立)を小倉より八代に移した。忠利は寛永一四年下立田しもたつだ村に泰勝院を別に建立し、小倉より祖父母泰勝院(藤孝)・光寿院(藤孝室麝香)と母秀林院(忠興室伽羅奢)の宝塔を移した(熊本藩年表稿)。忠利卒去の翌寛永一九年、光尚は京都妙心寺の大淵を招き住職とした。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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