日本歴史地名大系 の解説 浅草新旅籠町元地治兵衛買下ケ地あさくさしんはたごちようもとちじへえかいさげち 東京都:台東区旧浅草区地区浅草新旅籠町元地治兵衛買下ケ地[現在地名]台東区蔵前(くらまえ)四丁目東を浅草森田(あさくさもりた)町、西を浅草新旅籠町に挟まれた三角地。もとはこの両町の町屋であったが、享保一七年(一七三二)類焼し御蔵火除地として約八一六坪が明地となり、浅草新旅籠町預となった。寛政五年(一七九三)三月多摩郡中野島(なかのしま)村(現神奈川県川崎市多摩区)の三右衛門が甘藷植付場として拝借、当地および往来の管理も三右衛門が引受けたが、浅草森田町地尻に位置することから用心のため竹矢来が設置された。その後三右衛門は返地、同九年東葛西(ひがしかさい)領小松川(こまつがわ)村(現江戸川区)の源次が同じく甘藷植付場に拝借し同様に管理を行ったが、享和元年(一八〇一)同人も返地、その後は勘定方支配の桐苗植付場となる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by