20世紀日本人名事典 「浅野孝之」の解説 浅野 孝之アサノ タカユキ 大正・昭和期の教育者 第七高等学校長;山口経済専門学校長。 生年明治21(1888)年2月3日 没年昭和23(1948)年7月25日 出生地愛媛県 学歴〔年〕東京帝国大学宗教哲学科〔大正3年〕卒 経歴大正3年文部省嘱託となり、後、布哇中学兼同高等女学校長、私立成蹊高等学校長、東京府教育調査会委員、成蹊学園理事、本願寺審議会委員、特選会衆猿江重隣館理事、日米布協会理事を歴任。昭和16年姫路高等学校長、18年第七高等学校長、22年山口経済専門学校長となった。専攻は仏教哲学、仏教を通じて社会教育に寄与した。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「浅野孝之」の解説 浅野孝之 あさの-たかゆき 1888-1948 大正-昭和時代の教育者。明治21年2月3日生まれ。大正3年文部省嘱託となる。のち布哇(ハワイ)中学兼高女,成蹊高,七高などの校長をへて,昭和22年山口経専(現山口大)校長。仏教を通じて社会教育につくした。昭和23年7月25日死去。61歳。愛媛県出身。東京帝大卒。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by