清司原村(読み)せいしはらむら

日本歴史地名大系 「清司原村」の解説

清司原村
せいしはらむら

[現在地名]藤原町かなえ

員弁川支流相場あいば川の源流上之山田かみのやまだ村の北に位置する。江戸時代を通じて桑名藩領。慶安郷帳(明大刑博蔵)の高三一三・七七二石が、元禄郷帳では二七七・八五一石となる。その差三五・九二一石は、この間に成立した西隣の深尾ふかお村に割かれたと推定される。元禄一六年(一七〇三)上下二組に分れたという(員弁郡郷土資料)。ただし、天明四年(一七八四)手控帳には清司原村一村として記載されている。同手控帳によれば、田一五町五反七畝三歩、畑六町六反七畝一三歩。しかし文政七年(一八二四)の村明細帳(徳川林政史蔵)には上下二組を別に記している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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