溝沼村(読み)みぞぬまむら

日本歴史地名大系 「溝沼村」の解説

溝沼村
みぞぬまむら

[現在地名]朝霞市溝沼・溝沼一―七丁目・膝折町ひざおりちよう一丁目・同四―五丁目・本町ほんちよう一―二丁目・おか二丁目・栄町さかえちよう五丁目・幸町さいわいちよう一丁目・泉水せんずい二―三丁目・三原みはら一―五丁目・西弁財にしべんざい東弁財ひがしべんざい

膝折村の北にあり、ほぼ中央を黒目くろめ川が北東へ流れる。村名はこの辺りがかつては広い沼地で北方浜崎はまさき付近の入江まで溝を通したことに由来するといい、また開発当初は東方の岡村・根岸ねぎし村と一村であったとも伝える。新座にいくら野方のがた領に属した(風土記稿)。田園簿では田二四五石余・畑二五四石余、旗本中山領。化政期には幕府領となっており(風土記稿)、以後幕末まで変わらない。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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