瀬脇村
せわきむら
[現在地名]長野市七二会 瀬脇
大町道(現県道大町線)に沿い、犀川を南に望む山の斜面の散村。
慶長七年(一六〇二)の川中島四郡検地打立之帳(小柳文書)に「四百拾四石三斗八升五合 瀬脇村」とあるのが村名の初見。元禄の松城領高辻帳の添目録(大日方文書)に枝村柏尾・蓮・飯森・矢沢・高畑・荒屋・赤坂の七村を記していて、山村集落から成り立っていた。大半が畑地で、寛文一〇年(一六七〇)の戌之土目録納次第(七二会村誌)に役荏・役大豆・役綿・麻などを生産物の重要物としてあげている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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