長野市(読み)ナガノシ

デジタル大辞泉 「長野市」の意味・読み・例文・類語

ながの‐し【長野市】

長野

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

日本歴史地名大系 「長野市」の解説

長野市
ながのし

面積:四〇四・〇八平方キロ

長野県の北部に位置し、善光寺平ぜんこうじだいら(長野盆地)の大半とそれに続く山地からなる。

現在の市域は、旧上水内かみみのち郡の東南部と、旧更級さらしな郡の北東部、旧埴科はにしな郡の北部及び旧上高井郡の南部を含む旧四郡に及ぶ。さい川が西から東方に流れ、千曲川が市の南東から北東に貫流、犀川を合して北流する。

長野の地名の初見は、慶長六年(一六〇一)九月一六日の大久保長安等連署証文(善光寺文書)に、「善光寺御寺領之割」として「一弐百五拾石 信州水内郡之内長野」とあるが、これより以前既に長野村と称したものと推察される。

〔原始・古代〕

市域の縄文時代の遺跡は、飯縄原いいづなはら南縁下広瀬しもひろせ岩戸いわと芋井いもい地区)陣場平じんばだいら山の南山腹(七二会なにあい地区)、高遠たかとお山北山腹(松代地区)篠ノ井しののい地区の西部山地、信更しんこう地区の犀川右岸、三登みと山の南麓(若槻地区・浅川地区)などの高地に多くみられる。弥生時代の遺跡は、旧市部北部の西長野・妻科つましな県町あがたまち箱清水はこしみずにわたる一帯、東部の浅川西条あさかわにしじよう三輪みわ吉田よしだ中越なかごえ南堀みなみほり朝陽十二ちようようじゆうに柳原小島やなぎはらこじまなど浅川の扇状地若槻徳間わかつきとくま・吉田・古里三才ふるさとさんさい・同上駒沢かみこまざわの一帯、篠ノ井地区は塩崎しおざきから横田よこたに至る千曲川左岸の自然堤防、松代まつしろ地区では清野きよのから松代町西までと、松代町北から寺尾てらお牧島まきしまから大室おおむろに至る千曲川右岸に多い。

古墳時代中期の古墳として、篠ノ井地区に川柳将軍塚せんりゆうしようぐんづか古墳・越将軍塚こししようぐんづか古墳・中郷神社なかごうじんじや古墳・姫塚ひめづか古墳・越村前方後円墳、信更地区に大塚古墳、上松うえまつ地付山ちふやま古墳、古里に田子たご前方後円墳、松代地区土口山どぐちやま将軍塚古墳・西条の舞鶴山まいづるやま前方後円墳・大星山おおぼしやま前方後円墳などがある。山上あるいは山腹に位置し、ともに前方後円墳として古式古墳の様式をもつものが多く、また市域善光寺平の周縁山麓地帯には後期古墳の横穴式石室を有する古墳が古墳群として存在する。そのうち最も著しいものは松代地区大室古墳で、四谷よつやと三尾根に合わせて五〇〇基所在し、若槻地区よしには山腹に九〇余基群在し、若穂わかほ地区保科ほしなには六〇基群在した。これらのうちには横穴式石室の天井石が合掌形を呈するもの、竪穴式石室の天井が同様に合掌形を呈するもの二〇基余を数える。前方後円墳を除いては、六世紀末から七世紀もしくは八世紀に及ぶものと考えられ、この地の古代開発の時期をうかがうことができる。また古墳時代最末期の七世紀後半頃善光寺が建立されたことが古文献からうかがわれ、かつ同寺内から出土する古瓦がその事実を証している。

東山道から分岐して、北陸道の越後国に通ずる「延喜式」所載の官道は、犀川南の旧更級郡の曰理わたり駅から犀川を越えて、長野市北東の多古たご駅を経て、水内郡の沼辺ぬのへ駅に通じていた。


長野市
ながのし

2005年1月1日:長野市が更級郡大岡村、上水内郡鬼無里村戸隠村豊野町を編入
【大岡村】長野県:更級郡
【長野市】長野県
【鬼無里村】長野県:上水内郡
【戸隠村】長野県:上水内郡
【豊野町】長野県:上水内郡


長野市
ながのし

2010年1月1日:長野市が上水内郡信州新町中条村を編入
【長野市】[変更地名]長野県
【信州新町】長野県:上水内郡
【中条村】長野県:上水内郡

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「長野市」の意味・わかりやすい解説

長野〔市〕
ながの

長野県北部にある中核市。県庁所在地。長野盆地を中心に広がり,北部で新潟県に接する。1897年市制。1923年吉田町ほか 3村,1954年安茂里村など 10村を編入。1966年篠ノ井市と松代町,若穂町,川中島町の 3町および更北村,七二会村,信更村の 3村と合体。2005年大岡村,豊野町,戸隠村,鬼無里村の 4町村,2010年信州新町,中条村の 2町村をそれぞれ編入。中心市街地は犀川左岸の支流裾花川の扇状地上に立地し,善光寺門前町市場町北国街道宿場町として,江戸時代から急速に発展。明治4(1871)年長野県の県庁所在地となり,以後行政,商業,文化,教育の各機関が集中。第2次世界大戦後は住宅地が郊外に広がり,人口が著しく増加。商業地区の中心は昭和初期までは善光寺門前であったが,第2次世界大戦後は中央の権堂町付近,さらに近年は長野駅付近に移った。市街地西部には国,県の庁舎や学校,新聞社などが集まり,近郊には味噌醸造を主とする食品加工,電機などの中小工場が立地する。南東部の松代,南部の篠ノ井にも市街地がある。農村部では千曲川とその支流犀川の氾濫原を中心として米作が行なわれるほか,リンゴ,モモ,ナガイモ,タマネギなどが栽培される。特にリンゴは信州りんごの発祥地で,山麓斜面や自然堤防上で栽培される。安茂里地区はアンズで有名であるが,宅地化が進んでいる。北西部の高冷地ではソバなどの雑穀やタバコを栽培し,戸隠の手打ちそばは特産品。北西部の戸隠高原や南西部の聖高原周辺では別荘地やスキー場の開発が進められている。観光地,名所・旧跡には善光寺(本堂は国宝)をはじめ,松代城跡(→海津城),松代藩主真田家墓所,旧文武学校,川柳将軍塚古墳・姫塚古墳,大室古墳群埴科古墳群に属する土口将軍塚古墳(以上国指定史跡),往生寺,城山公園,川中島の古戦場跡などがあり,北西部の飯縄山山麓は高原行楽地となっている。素桜神社の神代ザクラは国の天然記念物。市の北西部が妙高戸隠連山国立公園に,南西部が聖山高原県立自然公園に属する。1997年北陸新幹線が開通。JR信越本線,飯山線,篠ノ井線,長野電鉄,しなの鉄道線,国道18号線,19号線,406号線などが通り,上信越自動車道のインターチェンジがある。白馬村山ノ内町とともに,1998年の長野オリンピック冬季競技大会開催地。面積 834.81km2。人口 37万2760(2020)。

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世界大百科事典(旧版)内の長野市の言及

【国市】より

…こうした一国あるいは一定地域内の定期市網のなかでの中心的な市が国市,親市とよばれ,一の日に開かれるものがあった。南北朝時代,近江の愛智郡の長野市は中山道に接し,地理的に国の中心部に位置していたためか親市と称され,一日市であった。周辺の定期市はおそらく長野一日市を基準にして市日が決定されたことも考えられる。…

※「長野市」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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