瀬高荘(読み)せたかのしょう

改訂新版 世界大百科事典 「瀬高荘」の意味・わかりやすい解説

瀬高荘 (せたかのしょう)

筑後国山門郡(現,福岡県みやま市の旧瀬高町,柳川市の旧三橋町)の荘園。立荘の時期,成立事情は不明。1131年(天承1)上・下荘に分かれ,下荘には鷹尾別符が成立した。12世紀初頭中納言藤原俊忠が領家職を有していたが,のち下荘は外孫の後徳大寺左大臣実定に渡り,実定より本家職が待賢門院に寄進され,円勝寺がこれを相伝した。平氏滅亡後1186年(文治2)には鎮西奉行天野遠景の押妨を受けたが,実定が頼朝に訴えてこれを退けた。鎌倉期に瀬高上荘は妙法院領となり,また1273年(文永10)には上・下荘とも10ヵ年を限り延暦寺の造講堂料所となった。南北朝期に一時鎮西管領料所に当てられ,また1350年(正平5・観応1)には上荘地頭職,預所職が足利直冬によって詫磨宗直にあてがわれた。室町期以降の本荘に対する支配関係はつまびらかでないが,中世末には上荘別当,下荘別当などのいわゆる瀬高座別当が置かれ,一宮高良社大祝の支配下に各種手工業座が形成された。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

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