焼杉村(読み)やけすぎむら

日本歴史地名大系 「焼杉村」の解説

焼杉村
やけすぎむら

[現在地名]溝口町焼杉

北東流する藤屋ふじや川上流域に位置し、北は上名かみのみよう村・須鎌すがま村。村名の由来は地内天婆山観音寺の文化一〇年(一八一三)の縁起書によると、旅の僧が焼けた杉材で観音像を彫刻したことにちなむという。拝領高は四二石余、本免は四ツ九分。米子荒尾氏の給地であった(給人所付帳)。文政一三年(一八三〇)の高四八石余、物成一五石余、米子御蔵へ納入すべき三歩一米は不明(在方諸事控)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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