狭河庄(読み)さがわのしよう

日本歴史地名大系 「狭河庄」の解説

狭河庄
さがわのしよう

鎌倉中期の簡要類聚鈔(京都大学蔵一乗院文書)の「一乗院家御領」に「狭河庄同(領主別相伝カ) 木柴一丈五尺拵之」とあり、当時は興福寺一乗院領荘園と考えられる。応永六年(一三九九)の興福寺造営段米田数帳(春日神社文書)に「一乗院方 狭河南庄六町七段大、狭河北庄十一町三段三百歩」とあり、室町期には南北両庄に分れている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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