狭河庄(読み)さがわのしよう

日本歴史地名大系 「狭河庄」の解説

狭河庄
さがわのしよう

鎌倉中期の簡要類聚鈔(京都大学蔵一乗院文書)の「一乗院家御領」に「狭河庄同(領主別相伝カ) 木柴一丈五尺拵之」とあり、当時は興福寺一乗院領荘園と考えられる。応永六年(一三九九)の興福寺造営段米田数帳(春日神社文書)に「一乗院方 狭河南庄六町七段大、狭河北庄十一町三段三百歩」とあり、室町期には南北両庄に分れている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

菊の節供,九月節供,重九 (ちょうく) ともいう。五節供の一つ。旧暦9月9日の節供で,奈良時代より,宮中では天皇が紫宸殿に出御し,群臣に宴を賜わり詩歌文章をつくらせる菊花の宴が行われ,年中行事となった...

重陽の用語解説を読む