畑詰村(読み)はたつめむら

日本歴史地名大系 「畑詰村」の解説

畑詰村
はたつめむら

[現在地名]大野城市仲畑なかはた一―四丁目・御笠川みかさがわ一丁目・山田やまだ三丁目

御笠みかさ郡の北端に位置し、北西流する御笠川流域にある。東はなか村、北は席田むしろだ立花寺りゆうげじ(現福岡市博多区)。小早川時代の指出前之帳では畑詰村は田二一町一反余(分米三二六石余)・畠一町五反余(分大豆一五石余)。慶長七年(一六〇二)の検地高は四一二石余(慶長石高帳)。元禄五年(一六九二)には高四二二石余、家数二三・社一、人数一三八(田圃志)。石高書上帳案の郡帳高も四二二石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

新暦の 4月後半から 5月の,梅雨前に日本列島が大きな移動性高気圧に覆われたときの晴天。発現期間は短い。もともとは旧暦 5月が梅雨にあたることから,梅雨の晴れ間の意味で,梅雨晴れ(つゆばれ)とも呼ばれ...

五月晴れの用語解説を読む