日本歴史地名大系 「畑詰村」の解説 畑詰村はたつめむら 福岡県:大野城市畑詰村[現在地名]大野城市仲畑(なかはた)一―四丁目・御笠川(みかさがわ)一丁目・山田(やまだ)三丁目御笠(みかさ)郡の北端に位置し、北西流する御笠川流域にある。東は中(なか)村、北は席田(むしろだ)郡立花寺(りゆうげじ)村(現福岡市博多区)。小早川時代の指出前之帳では畑詰村は田二一町一反余(分米三二六石余)・畠一町五反余(分大豆一五石余)。慶長七年(一六〇二)の検地高は四一二石余(慶長石高帳)。元禄五年(一六九二)には高四二二石余、家数二三・社一、人数一三八(田圃志)。石高書上帳案の郡帳高も四二二石余。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by