日本歴史地名大系 「大野城市」の解説 大野城市おおのじようし 面積:二六・八八平方キロ県中央部西寄りにあり、市域は南北に長く延びる。北部と中央部は南東から北西へ流れる御笠(みかさ)川流域の福岡平野にあり、南部の大部分は同川支流牛頸(うしくび)川とその支流の流域の丘陵部が占める。北は糟屋(かすや)郡宇美(うみ)町・福岡市博多区、東は宇美町・太宰府市、南は筑紫野(ちくしの)市、西は春日市・筑紫(ちくし)郡那珂川(なかがわ)町に接する。北東境には北から井野(いの)山(二三六メートル)、乙金(おとがな)山(二六三・一メートル)、大城(おおき)山(四一〇メートル)、南境近くには黒金(くろがね)山、牛頸山(四四七・九メートル)がある。ほぼ中央部を北西から南東にJR鹿児島本線が通り、同線北側を並行して西鉄天神大牟田(てんじんおおむた)線が通る。さらにその北側、御笠川右岸を国道三号・福岡都市高速道路が川沿いに走り、太宰府市水城(みずき)とにまたがって水城ランプが設けられている。東端の乙金山・大城山西麓を九州縦貫自動車道が通る。〔原始・古代〕旧石器時代の遺跡は市の東部と南部の山地にあり、釜蓋原(かまぶたばる)遺跡(大城五丁目)が代表的な遺跡で、ナイフ形石器・台形様石器・細石刃などが発見されている。また下大利(しもおおり)五丁目の出口(でぐち)遺跡では剥片尖頭器が見つかっている。縄文時代では釜蓋原遺跡で早期の押型文土器や石鏃多数が出土している。南部の牛頸日(うしくびひ)ノ浦(うら)遺跡や牛頸塚原(うしくびつかはら)遺跡では晩期の住居跡が見つかっている。弥生時代の遺跡は前代に比べて平野部でも多くみられる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「大野城市」の意味・わかりやすい解説 大野城〔市〕おおのじょう 福岡県北西部,福岡市の南東部に接する市。 1972年市制,同時に大野町を改称。市域は南北に細長く,北部は低地,南部は標高 200~400m程度の丘陵。福岡市の近郊住宅地域として発展。付近には特別史跡指定の大野城跡,水城 (みずき) 跡があり,一部は太宰府県立自然公園に属する。 JR鹿児島本線,西日本鉄道大牟田線,国道3号線,九州自動車道が通じ,太宰府インターチェンジが近い。面積 26.89km2。人口 10万2085(2020)。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報 Sponserd by