白鍬村(読み)しらくわむら

日本歴史地名大系 「白鍬村」の解説

白鍬村
しらくわむら

[現在地名]浦和市白鍬

神田じんで村の北に位置し、埋没ローム層を基盤にしている部分と沖積地からなる。北は島根しまね(現大宮市)、東は八王子はちおうじ(現与野市)八貫野はちかんのに持添新田がある。応安二年(一三六九)七月二八日の大窪郷地頭方三分一方田畠注文(正木文書)に「しらくハほり上」とある。田園簿では白桑村とみえ、高二八四石余、反別田二三町七反余・畑一六町九反余で、旗本玉虫領二六九石余・同小笠原領一四石余。国立史料館本元禄郷帳では幕府領と小笠原領の相給。化政期には小笠原分は一族の他の小笠原氏に配当となっている(風土記稿)。新田は幕府領となった。植田谷うえたや領に属し、化政期の家数三二(同書)。真言宗智山派の慶福けいふく寺がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

二十四節気の一つで,二至 (夏至,冬至) ,二分 (春分,秋分) として四季の中央におかれた中気。元来,春分は太陰太陽暦の2月中 (2月後半) のことで,太陽の黄経が0°に達した日 (太陽暦の3月 2...

春分の用語解説を読む