本来は信仰・祭祀にかかわるいっさいの遺跡を総称すべきであるが,日本考古学では,遺構の状況や遺物の性質から,その場あるいはその近くで祭祀が行われたと判断される遺跡,遺構を祭祀遺跡,祭祀遺構と呼び,寺院など恒久的施設の遺跡は別に扱う。またヨーロッパ考古学では,祭祀にかかわる遺物が一括して多量に見いだされる遺跡は,むしろデポの一種としている。集落遺跡や生産遺跡,墓以外と判断される性格不明の遺跡を祭祀と関係づけて解釈するのは,世界の考古学に共通である。以下,ほぼ古代国家成立前の祭祀遺跡を種類別に扱う。
狩猟祭祀の遺跡としては,ヨーロッパ旧石器時代の壁画洞窟・岩陰が顕著な存在であって,獲物の身に槍がささった状況を表す表現があるだけでなく,踊りまわったネアンデルタール人たちの足跡が床面に鮮明に残っている遺跡(フランスのテュク・ドードゥベールTuc d'Audouber洞窟,後期旧石器時代)もある。洞窟内にクマの頭骨を集積した実例(スイスのドラッヒェンDrachenloch洞窟)は,日本の縄文文化の,イルカの頭骨を半円形に配したもの(釧路市東釧路貝塚),イノシシ(幼獣が多い)の下顎骨のみ118頭分を穴に埋めたもの(山梨県金生(きんせい)遺跡),オホーツク文化のクマの頭骨を祭壇上に集めたもの(網走市モヨロ貝塚)と同様,狩猟祭祀との関連が説かれている。
農耕祭祀にかかわるものとしては,西アジアの初期新石器時代の集落に,独立した建物(パレスティナのイェリコ遺跡),あるいは建物の一部(トルコのチャタル・ヒュユク遺跡)が祠堂として使われたものがある。北西ヨーロッパの新石器時代から青銅器時代にかけては,巨大な石で構築した各種の遺構の存在が目だっており,巨石記念物と総称されている。その代表例とされるイギリスのストーンヘンジや3000本近い立石を列に並べたフランスのカルナック列石(クロムレクcromlech)は,ともに太陽崇拝との関連が論じられている。
農耕祭祀とのかかわりとは無縁だが,日本の縄文文化にも環状列石(ストーン・サークル)がある。石塊を用いたもの(秋田県大湯遺跡),立石をめぐらしたもの(小樽市忍路(おしよろ)三笠山)がある。また1本の立石の根もとの周囲に長手の石を放射状に配した〈日時計〉(大湯遺跡)や,祭壇状その他に石を配した各種の〈配石遺構〉がある。このうち環状列石や〈日時計〉は,共同墓地に伴う施設と判明している。土手状の盛土を円くめぐらした北海道特有の環状土籬(かんじようどり)(千歳市キウス遺跡)も同様である。また関東地方にみられる〈敷石住居〉もふつうの住居ではなく,祭祀にかかわる施設といわれる。弥生時代には農耕祭祀に直接かかわる明確な遺跡はない。ただし,銅鐸や武器形青銅祭器,多鈕細文鏡(たちゆうさいもんきよう)の埋納坑は,それに含めてよい。なお北部九州の甕棺墓地では,墓前祭に用いた祭祀用土器を穴に埋めており,この穴は〈祭祀土坑〉と呼ばれている。
犠牲祭祀は旧石器時代に始まっている(たとえばドイツのアーレンスブルク文化のシカの犠牲)。しかし本格化するのは農耕が始まってからであって,北ヨーロッパでは人身犠牲(デンマークの青銅器~鉄器時代),ウマの全身の皮を斜めに寝かせた棒にかぶせる例(デンマーク民族移動時代)などが知られ,日本では古墳時代から平安時代にかけての穴,井戸,溝で,犠牲ウマの遺体の一部とみられるものの発見例が増しており,文献にみる漢神をまつる雨乞いとの関係が考えられている。なお中国の古代文献には,犠牲の血を用いて誓いをたて,載書(盟約書)を埋めたことがみえるが,その遺構(山西省侯馬の東周代の盟誓遺跡)も見つかっている。
神聖な泉や沼沢,神が宿り降臨する岩(たとえば磐座(いわくら)(磐座・磐境)),山(たとえば神奈備(かんなび)山),島などの信仰祭祀にかかわる遺跡・遺構も世界各地で知られている。日本では,奈良県の三輪山,福岡県の沖島が,この種の祭祀遺跡として名高く,祭祀に用いた石製・土製・金属製の模造品(鏡,剣,玉,織機など)など各種の遺物が見いだされており,神道とかかわる祭祀のありかたを示している。
執筆者:佐原 眞
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
広い意味では考古学上からみた各時代の宗教儀礼の遺跡を網羅する。しかし通常は、日本の考古学上、時代を限定した狭義の用語とする。おもな時代は古墳時代で、縄文時代以前はその後の文化との継続性に問題が多いため除外し、仏教伝来後、外来文化の強い影響を受けた遺跡も多少区別して扱っている。
また官衙(かんが)、住居、生産、交通、墳墓などの遺跡とも分ける。墳墓は「死者に対するまつり」の遺跡であるが、埋葬そのものに関することは省き、墓前祭、墳丘構築のためのまつりなどは祭祀遺跡に加えることもある。住居関係でも祭祀器具などの生産、保有、同屋内での祭祀がみられるものなどを便宜上加えている。
こうして限定した古墳時代中心の祭祀遺跡は、全国でこれまでに約400か所発見され、中部九州から東北地方まで分布し、とくに関東から東北南部に濃密である。著名な遺跡には奈良県天理市の石上(いそのかみ)神宮周辺、桜井市三輪山(みわやま)付近、玄界灘(げんかいなだ)の宗像(むなかた)大社沖ノ島、群馬県赤城山麓(あかぎさんろく)などがあって、形容の美しい山の麓(ふもと)の高所、居住空間の端に、多くはなんらかの伝承をもつ岩石を伴って存在する。また島や岬にあって海神をまつったと思われる遺跡、水源の湧水(ゆうすい)地、川の淵(ふち)などで水の神・川の神をまつった遺跡などがある。集落内でも特定の岩石付近に展開するほか、竪穴(たてあな)住居内でも棚などを使用してまつりを営んでいる。自然の内に生活する古代人が、神の力に対し、恐れ、崇(あが)め、恵みを求めて、鏡、玉、武器武具、農工具など(あるいはその模造品)を捧(ささ)げ、多くの什器(じゅうき)に饌(せん)を盛ってまつった跡である。
[椙山林継]
『『神道考古学講座』全6巻(1972~81・雄山閣出版)』
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祭祀に関する行為が行われた遺跡,または祭祀に関する遺物が出土した遺跡。縄文時代の環状列石,弥生時代の銅鐸・銅矛などの埋納地も祭祀遺跡と考える説もある。祭祀の形態としては埋納遺跡・供献遺跡があり,神が鎮座・降臨するとされる磐座(いわくら)・磐境(いわさか)・神奈備(かんなび)・神木などの崇拝物のある場所や,山上・峠・湧水地・河川・湖沼・境界・離島などが選ばれた。国家から民間までさまざまな祭祀が行われ,四角四境祭・地鎮祭が一般的に知られる。祭祀には土師器(はじき)・須恵器や土製・石製・木製・金属製の模造品や小型品が用いられた。山形県羽黒山,栃木県日光男体山(なんたいさん),富士山頂,長野県神坂(みさか)峠,奈良県三輪山(みわやま),岡山県大飛島(おおひしま),福岡県沖ノ島などが著名。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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…石製模造品として作った器物の種類には,武器武具――刀子(とうす)・剣・鏃・弓・短甲・盾,服飾具――鏡・勾玉・小玉・櫛・下駄,農工具――斧・たがね・のみ・鉇(やりがんな)・鎌・鍬・鋤,酒造具――坩(つぼ)・甑(こしき)・盤(さら)・槽(ふね)・案・臼・杵,機織具――紡錘車・梭(ひ)・筬(おさ)・滕(ちきり)・腰掛けなどがある。なお,ほかに沖ノ島祭祀遺跡から滑石製の人形(ひとがた)・馬・舟などが多量に出土しているが,奈良時代のものであるから,石製形代(かたしろ)とよんで区別する(沖島(おきのしま))。 石製模造品には,器物の全形を作ったものと,特定の部分にかぎったものとがある。…
※「祭祀遺跡」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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