益城軍団推定地(読み)ましきぐんだんすいていち

日本歴史地名大系 「益城軍団推定地」の解説

益城軍団推定地
ましきぐんだんすいていち

[現在地名]城南町坂野 平野

古代、肥後国には四ヵ所に軍団が置かれたが、設置地域の明確なのは益城軍団だけである。益城軍団は昭和三三年(一九五八)の調査によって平野ひらのの字西天神原にしてんじんばるが有力な比定地となった。七個余りの礎石群やその根石・軒石の敷石などが発見され、近接して奈良時代前後の須恵器なども出土し、かなりの建造物の存在が想定された。ただ布目瓦はまったく出ていない。瓦を使用しなくても巨大な礎石を敷くことはある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

関連語 城砦

機械メーカー。トヨタグループの総本家で,繊維機械のほかトヨタ自動車からの小型商用車の受託生産,エンジンその他の自動車部品,フォークリフトなどの産業用車両の生産も行なう。1926年豊田佐吉が,みずから発...

豊田自動織機の用語解説を読む