日本歴史地名大系 「平野村」の解説
平野村
ひらのむら
- 宮崎県:日南市
- 平野村
平野村
ひらのむら
- 大阪府:柏原市
- 平野村
平野村
ひらのむら
山中湖の北東岸にある。南西の
平野村
ひらのむら
- 愛知県:稲沢市
- 平野村
東は
中世では国人・寺院の所領が村内に散在していた。弘安八年(一二八五)久田宰相房子息等所領文書案(妙興寺文書)に薬師丸へ妙観から譲った畑地として「中嶋郡内散在畠地、平野屋敷捌段」とみえ、応長二年(一三一二)尼尊如寄進状(性海寺文書)によると尼尊如が菩提寺として「一所、陸畠壱町八段大 平野村内覚心跡」の地を
平野村
ひらのむら
平野村
ひらのむら
平野村
ひらのむら
平野村
ひらのむら
- 宮崎県:西都市
- 平野村
現西都市
平野村
ひらのむら
との記載がある。穴とは塩穴、すなわち「
平野村
ひらのむら
- 栃木県:矢板市
- 平野村
平野村
ひらのむら
平野村
ひらのむら
- 埼玉県:幸手市
- 平野村
平野村
ひらのむら
平野村
ひらのむら
平野村
ひらのむら
平野村
ひらのむら
平野村
ひらのむら
- 山口県:山口市
- 平野村
昭和四七年(一九七二)中国縦貫自動車道建設に伴う発掘調査により、弥生時代から中世にまたがる遺跡や遺物が確認された。文献に平野の地名が出るのは永正三年(一五〇六)の瑠璃光寺領寄進状(「注進案」所収)で「平野保」とみえる。平野の氏神
平野村
ひらのむら
平野村
ひらのむら
平野村
ひらのむら
平野村
ひらのむら
- 福岡県:大牟田市
- 平野村
平野村
ひらのむら
平野村
ひらのむら
平野村
ひらのむら
- 兵庫県:川西市
- 平野村
平野村
ひらのむら
平野村
ひらのむら
平野村
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平野村
ひらのむら
平野村
ひらのむら
平野村
ひらのむら
「注進案」に「当村之儀は森村之枝村ニ而」とあるように森村の支村として開かれたらしく、「地下上申」は「大島郡森平野村」と記す。「注進案」で初めて独立村として扱われるようになった。
「注進案」に「村内強而高山大川無御座、大概一統山続ニ而」とあるように丘陵地が多く、その中で田畠面積は三九町五反余、高三九九石二斗余。すべてが蔵入であった。総家数二〇四のうち本百姓七九(うち本軒一、半軒四〇、四半軒三八)で、亡土百姓は一二四を数えた。農業を中心とした村であったが、廻船二艘、漁船八艘があり、農閑期には白木綿・小幅布・麻・魚引縄や煎海鼠を産出した。
平野村
ひらのむら
- 福井県:小浜市
- 平野村
西は
平野村
ひらのむら
- 埼玉県:岩槻市
- 平野村
元荒川を挟んで岩槻城下
平野村
ひらのむら
平野村
ひらのむら
- 和歌山県:橋本市
- 平野村
紀ノ川に注ぐ
平野村
ひらのむら
平野村
ひらのむら
平野村
ひらのむら
平野村
ひらのむら
平野村
ひらのむら
- 熊本県:熊本市
- 平野村
東は
平野村
ひらのむら
平野村
ひらのむら
平野村
ひらのむら
平野村
ひらのむら
平野村
ひらのむら
平野村
ひらのむら
- 熊本県:菊池市
- 平野村
平野村
ひらのむら
- 千葉県:市原市
- 平野村
平野村
ひらのむら
平野村
ひらのむら
平野村
ひらのむら
平野村
ひらのむら
平野村
ひらのむら
平野村
ひらのむら
平野村
ひらのむら
- 和歌山県:田辺市
- 平野村
芳養川流域、
平野村
ひらのむら
平野村
ひらのむら
- 高知県:宿毛市
- 平野村
天正一七年(一五八九)の橋上村々地検帳にみえる井屋ノ川・平野の二村が江戸時代の平野村にあたると思われ、その検地面積六町余、すべて小島出雲の給地。屋敷数一三うち居屋敷一〇。屋敷のうちには善福寺が含まれる。
平野村
ひらのむら
平野村
ひらのむら
平野村
ひらのむら
平野村
ひらのむら
平野村
ひらのむら
平野村
ひらのむら
- 熊本県:八代市
- 平野村
平野村
ひらのむら
平野村
ひらのむら
- 兵庫県:西脇市
- 平野村
平野村
ひらのむら
平野村
ひらのむら
平野村
ひらのむら
平野村
ひらのむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報