日本歴史地名大系 「矢俣保」の解説 矢俣保やまたのほ 佐賀県:三養基郡三根町矢俣保正応五年(一二九二)の「惣田数注文」(河上神社文書)に「矢俣保三百三十町」とある。保域は、貞和六年(一三五〇)一二月八日の板部成基寺領寄進状(光浄寺文書)に「肥前国矢俣保西島郷内、当寺敷地以下」とみえ、寛正二年(一四六一)六月一日渋川教直書下(同文書)に「肥前国三根郡矢俣保之内、元犬丸名田島東島町」とみえることから近世の矢俣郷よりも広く西島(にしじま)郷の一部を含んで、南茂安(みなみしげやす)村(明治二二年成立)の村域に比定することができる。光浄寺文書における初見は、元徳二年(一三三〇)三月八日の沙弥ちやうせん田地譲状で、最終は天文七年(一五三八)一二月一三日の竜造寺家門書状である。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報