日本歴史地名大系 「三養基郡」の解説
三養基郡
みやきぐん
県の東端にあり、西を神埼郡に接するほかは、三方が福岡県域へ食い込んだ形となっている。
明治二九年(一八九六)、古代律令制以来の
〔原始・古代〕
先土器時代の石器が基山町の
当郡が大和政権に包含されたとみられるのは四世紀後半で、国家統一前の小国家には、県主がいた
山麓・低丘陵地には古墳が濃密に分布する。五世紀後半から六世紀中頃にかけて巨大な前方後円墳が築造される。上峰村の
律令制では当郡域に、
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報