福頼庄(読み)ふくよりのしよう

日本歴史地名大系 「福頼庄」の解説

福頼庄
ふくよりのしよう

建長五年(一二五三)一〇月二一日の近衛家所領目録(近衛家文書)に「福頼庄」とみえる。もと高陽院(藤原忠実の娘泰子)の所領で、近衛家が庄務権(領家職)をもっており、預所は菅原良頼であった。文永八年(一二七一)一一月日の杵築大社三月会相撲舞頭役結番帳の一〇番の相撲に「福頼庄内九十丁五反大長野入道子」、舞八一丁六反六〇歩のなかに「同庄内九丁同人」とみえ、地頭は長野氏であった。康正二年(一四五六)の「造内裏段銭并国役引付」には「速成就院雲州福願庄之段銭」として一五貫文とあり、「福願庄」は当庄のこととみられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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