日本歴史地名大系 「稚児ヶ池」の解説 稚児ヶ池ちごがいけ 大阪府:松原市阿保村稚児ヶ池[現在地名]松原市松ヶ丘一丁目阿保親王の殿舎のうちにあったと伝え、親王(しんのう)池ともいう(河内名所図会)。「河内鑑名所記」は「いつの比にかありけん、ある児此池にてうせ侍る、おやかなしく思ひちごのとぶらひに、長五間ほどのそとば木を池の中に立しより、児が池と申ならはすと也」と記す。卒塔婆を建ててあったので棒(ぼう)池ともいわれる。また、昔阿保(あお)に阿保親王の後裔の在原信之なる者がおり、その子幸松麿が長和三年(一〇一四)六月一五日、母の病の快癒を祈って報いがあったのを喜び、池に身を投じたという。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by