用水とは灌漑,飲料,工業,発電,消火などに利用する水の意味だが,このうち灌漑用水,つまり田畑に導いて作物の育成にあてるための水の意味で使用されることが多く,ここでもこの意味に用いる。また世界各地の記述は〈灌漑〉の項にゆずり,本項では日本における灌漑用水の歴史について記すこととする。日本では降雨の時期と量の関係から,とくに水稲耕作に用水が配慮されたが,水稲耕作の普及進展に応じ用水技術も進歩していった。
用水技術が未熟な段階にあっては,水稲耕作は湿地帯や山峡部にまず試みられるため,排水作業や一定量の水を補給する作業が必要で,その結果開溝および築堤工事が活発に行われた。やがて耕地が台地や平野部にまで広がっていくに従って,河川流路の一定化のための大規模な築堤工事や,平野部での造池作業が行われ,それに付随しての開溝作業や,その機能を勧めるため堰(せき)や樋(ひ)の設置もなされるに至った。こうした用水工事は共同体の首長,族長の指導の下に行われたが,それはまた勧農とも結びつくものであり,族長層はこれを通して共同体の成員に政治的支配を及ぼしていった。
大和朝廷も本質的にはこうした族長層と政治的動きにおいて変りはなく,畿内地方を中心に勢力を拡大し,やがて全国支配へと歩みを進めた。その後身である律令国家も,用水事業の整備を通して土地支配を確実なものにしようとし,勧農政策の一環として用水政策を打ち出していった。すなわち,律令条文の中にこの点への配慮を示し,河川の水は公私共利として特定個人の排他的独占を禁じながらも,その管理権は国家に帰属させ,造池溝や堤防修理などの用水事業を国家的事業として積極的に進めた。用水管理の具体的な権限は国司にあったが,実際には在地の慣行や農民の動向を知悉(ちしつ)する郡司層の力によるところが大きく,用水をめぐる集落の慣行などはこれを認める姿勢を示した。また8世紀の段階で活発に行われていった造池溝や河川の築堤またその修理などの用水工事の労働は,国家によって食糧と賃金が支払われる一種の有償労働で,公功と呼ばれるものであり,民間の有力者が自己の資財によって行う私功と区別された。そしてこの公功を加えてでき上がった設備の中の水は,公水として国家管理下に置くことが主張された。
しかし723年(養老7)の三世一身法および743年(天平15)の墾田永年私財法の発令以後,私地の増大は用水の私的独占を生み,国家は私功を加えた設備中の水の私的支配を認めざるをえなくなったが,それだけに公水の国家管理を強く主張し,その実施に臨んだ。それは824年(天長1)以後の格文や《延喜式》の文によく示されている。しかし,そうした国家の姿勢は大土地私有の趨勢の前にしだいに後退していったが,用水の性質として,一荘園,一村落の枠を超えて灌漑が行われる場合が多かったので,地方国衙(こくが)は社会的職務の履行という形で用水の管理に臨みえたため,用水への国家的統制は11世紀に至っても,なお根強い形で残存した。
執筆者:亀田 隆之
中世の荘園公領制下においても農業生産に不可欠な用水の問題は,直接生産者たる農民層ばかりでなく,土地からの収益に依存する領主層にとっても重大な関心事だった。そのため例えば筑前の怡土荘(いとのしよう)や宗像(むなかた)社領などのように,用水の水源林を保護する制規を領主が発している場合があった。また灌漑施設の築造・修理などに際して,工事そのものは農民の夫役(ぶやく)によって行われたが,領主が井料米(いりようまい)などと称して何らかの費用を支払っている例も珍しくない。
古代の律令国家体制が機能していた時代と違って,中世の場合,個別荘園の規模を越えるような大がかりな灌漑・用水工事が行われることは少なかった。そうした中で山城国の西岡(にしのおか)諸荘が団結して,一種の用水組合として桂川の水を利用したのは,むしろ例外的な事例である。中世も後期になると,とくに畿内周辺では惣などの農民の自治的な組織が発達し,用水池の築造とか用水の管理とかが,こうした惣を主体に行われる事例もみられ,和泉国大鳥荘における池の築造などはその一つである。しかしこういった場合を除いては,用水は基本的には領主の支配するところで,領民が用水を利用するときに,その代償として井料などの名目で領主に何らかの負担を課されることもあった。そして領主の側も,用水の管理と公平な分配が領民の関心事であったから,そのために井奉行,井司,番頭,井守などと称する専門担当者を置き,一定の給分を与えていることが多い。
用水源として池や沼が用いられている場合には,利用者も限られ,またその権利もその池や沼の存在する土地の領主権に属することが明らかだった。しかし長い区間を流下する河川が用水源である場合,その流域はいくつもの荘領に分かれているのが普通で,干天などの際には,相互の間に深刻な争いが起きることもしばしばだった(水論)。また遠くの荘園が水を引くためには,用水源やその周辺の他領の承認を必要とするので,それに対する代償として金銭などの授受も行われた。
大規模な灌漑工事は少なかった反面,用水の能率的な利用に関しては,中世において技術的にも慣行の面でも,いろいろな発展がみられた。一つの用水を複数の所領が利用する場合の利用方法は,大別すると時間によって分配する方法(番水)と,用水路その他の灌漑施設に付加した設備によって分配する方法とがある。大和の能登,岩井の両川を用水とする興福寺領諸荘において取られたのは前者の方法であり,後者の例には越前河口荘十郷用水などがある。
信玄堤,万力林などの名で有名な甲斐の武田信玄の治水・灌漑工事は広く知られているが,戦国大名も一般に領国の富国強兵策の一環として治水・用水に意を用いており,《相良氏法度》《今川仮名目録》《塵芥集》などの分国法には,用水についての規定がみられる。中でも《塵芥集》は用水関係の条文のみで8条に及び,飲水を清潔に保つこと,水争いの裁定基準,用水の堰口・堰場を築く際の規制などが法文化されていた。
執筆者:本山 幸一
江戸時代には幕府,諸藩とも新田開発につとめた。そのため灌漑用水の取得手段に関しては,江戸期には多くの論著に現れているが,宝永年間(1704-11)の《耕稼春秋》には次の諸法が述べられている。(1)勾配の適当な河川から水を引き,4~10kmの途中で支川(枝川)を設けて村々の田用水とする。井堰からの用水取得であるが,大河から引く場合には出水ごとに堰の流失の危険があり,再普請に多大の費用がかかることに注意している。これは工法の未発達な時代の段階を物語っている。(2)堤すなわち溜池築造による取水については,用水不足となる年が多いから日ごろからの節水,田植前からの田面への貯水が必要である。(3)より小規模な池または堀で,百姓が人力で揚水・灌水するものでは,江州,五畿内辺に例が多いといい,竜骨車,はね釣瓶(つるべ)の使用をあげている。(4)天水田または空待(そらまち)田で,全成育期間を通じて,いっさいの水を天水に依存するものである。《地方(じかた)凡例録》では《耕稼春秋》の(3)の池または堀をさらに分けて,(a)筑後,肥前などに多くみられる幅10m内外,長さ数kmも続く堀水を,水底に堰を立て,田ごとに桶でくみあげるものと,(b)江州辺に多い田ごとに幅2m内外,深さ3~4mの井戸を掘り,1個の井戸が数人の百姓の共有になるもの,とを区別している(これらは現在は電力揚水の大規模な深井戸に変わっている)。《隄防溝洫志(ていぼうこうきよくし)》にはこのような堀・井戸に関しての地域的特異性の叙述はいっそう詳細である。
《耕稼春秋》は著者土屋又三郎の出身地に近い北陸筋の例をもって,地形と用水取得の便・不便を論じているが,著作年代のより新しい《豊年税書》は堰・池の築造について詳細である。堰からの引水路は,水路沿いの山などに崩壊の危険のある場所を避け,水路沿いの田畑の冷害不作を被らぬよう,崩れやすい土砂による水路埋没の恐れのない所であることがたいせつで,堰の位置は川幅の広い所を選び,川幅の狭い所は大水に際して川底が掘れ,水が堰に乗りにくくなると説く。溜池は3方が土地高く,中央の低い所が好適で,その1方を堤で築き切ればよいとする。涌(わき)水が少なく,承水区域の狭い所,周囲の山野が砂地で,降雨ごとに池床の埋没の可能性のある所は避けるべきなどと相当に詳しい。貯水の多量であることを求めるあまり,深さを過度に大きくすれば,大水に際して堤の流失する危険があるとも警告している。田用水の質は《地方竹馬集》が〈大河川水・沼水・湖水は吉,山川の水或は涌水抔(など)は冷水以て不可然,……惣じて水の温なるを上〉とし,また上流に紙漉(かみすき)などがあるとか,村中を通った水は可としているのは,水温や有機質を含むか否かを問題としているのである。ただし過度の汚泉や鉄気(かなけ)水は格別に悪いとの指摘もある(《県令須知》)。水温中心にしての見解には,川下をせき止めての水は上,沼水は中,池溜は下とする。
用水に対して,余分の水,使い残りの水,害を与える恐れのある水を悪水というが,悪水除けについては詳しい意見はあまりみられない。地方書としては古い部類に入る《百姓伝記》は,井堰などについては記さず,用水引用,下水(悪水)排除の両目的を有する井溝の手入れの重要さを強調し,田地を惜しんで井溝を浅くすることを戒めている。越後の信濃川は,平野部に入って西川,中の口川,本流の3川に分流しているが,本地域では上流部の悪水が下流部では用水として必須であり,河中に堰を設けることは上流では悪水排除の妨害,下流では用水取得の手段としての必要施設であるから,両者間に利害の矛盾を生じて,上・下流区域の関係を複雑化し,まれには河流の中心部(すなわち両側の村境を意味する)までだけ,一方の側からせき止めている例もある。上流側の悪水排除と,下流側の用水獲得との皮肉な妥協の結果の築造物であることを示している。
→灌漑 →工業用水 →上水道 →用水路
執筆者:喜多村 俊夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
飲料・消火などの生活利用,農業生産における灌漑,工業生産の発展にともなう動力・発電への利用などを目的に使用される水。また水路をさすこともあり,さらに広くこれらを含んだ水利用と管理・維持のための地域的なシステムを総称し用いる場合もある。農業生産,とくに近世に発達した河川灌漑において,悪水と対比的に用いられる場合が多い。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
…水路は地形によって開溝あるいはトンネルにされる。疎水の例は日本の各地で見られるが,芦ノ湖から取水し静岡県側を灌漑する箱根用水などのように,用水という名称がつけられているものが多い。代表的な疎水としては,猪苗代湖から取水し郡山地方を灌漑する安積(あさか)疎水,琵琶湖から取水し京都の総合開発(灌漑,給水,発電,舟運)を目的とした琵琶湖疎水がある。…
…初期の前方後円墳が尾根の先端に作られたとき,その側谷には古来の谷田が開かれていたと思われる。その谷奥に土堰堤を築いて溜池を作れば,谷口の用水は豊富になり,稲作は安定する。その余水を使って谷外の平たん部に田を開くことも可能になる。…
※「用水」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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