…だが,サラリーマンや労働者にとっての,今日的な意味での外食が日常化するのは,大正時代に入ってからのできごとである。つまり,1907年に東京日本橋の三越が食堂を開業したのを契機に,大正も中ごろになると公営の簡易食堂が設置され,さらに関東大震災後はいわゆる大衆食堂の元祖として須田町食堂が開店したのをはじめ,各種の飲食店が急増し,日本人の手で開発されたカレーライスやとんかつなどの日本的洋食を売物に,多くの都市民を外食に誘ったのであった。 ただし,こうした食事形態を総称して外食と呼ぶようになったのは,41年4月戦時下食糧統制の一環として,米穀配給通帳制とともに外食券制が実施され,ちまたに外食券食堂の表示が見られるようになってからのことである。…
…つまり,けんどん飯の名称をより明確にした一膳飯の名が見られるようになるのである。しかし,飯屋という最も実質的な外食施設が広く普及するのは,明治以後の近代化の中で産業構造が変化し,日常的に外食を必要とする勤労者や学生が増加し,大正中期に官営の簡易食堂がつくられ,以後大衆食堂の続出を見るようになってからのことといえる。飲食店【鈴木 晋一】。…
※「簡易食堂」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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