粟倉庄
あわくらのしよう
明治二二年(一八八九)成立以来の東粟倉村・西粟倉村を遺称とし、天文一四年(一五四五)二月吉日の広峯神社(現兵庫県姫路市)社家肥塚家の檀那村付帳(肥塚家文書)に「あわくら」内としてかけ石・しほたに・いのへなどがみえる。また貞治元年(一三六二)銘の大原保日吉山王宮梵鐘銘文(岡山県金石史)に同宮別当として「粟倉庄吉田村宝妙禅寺」とあることなどから、後山川流域から吉野川流域一帯に推定される。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
Sponserd by 