日本歴史地名大系 「西粟倉村」の解説 西粟倉村にしあわくらそん 岡山県:英田郡西粟倉村面積:五七・六五平方キロ郡北東部、すなわち県の最北東部に位置する。北は鳥取県八頭(やず)郡若桜(わかさ)町・智頭(ちず)町、東は兵庫県宍粟(しそう)郡千種(ちくさ)町に接し、西は勝田(かつた)郡勝田町、南は大原(おおはら)町、南東は東粟倉村。北東部に長義(ちようぎ)山(一一〇五・一メートル)・ダルガ峰(一一六三メートル)・駒の尾(こまのお)山(一二八〇・七メートル)などの山が連なり、一帯は氷(ひよう)ノ山後山那岐山(せんうしろやまなぎさん)国定公園になっている。南北に吉野(よしの)川が流れ、それに注ぐ若杉(わかすぎ)渓谷沿いにはキャンプ場・スキー場があり、広大なブナ原生林などを含め特別自然保護地区になっている。 西粟倉村にしあわぐらむら 千葉県:君津市旧周淮郡地区西粟倉村[現在地名]君津市西粟倉東粟倉村の北西方に位置し、小糸(こいと)川左岸上流から中流への変換点に立地。文禄三年(一五九四)の上総国村高帳には粟倉村とあり、高七〇石。元禄郷帳では高七九石余。寛永一八年(一六四一)から市宿(いちじゆく)村と同じく旗本曾根領。寛政五年(一七九三)の上総国村高帳では家数一五。天明八年(一七八八)に一四ヵ村組合村に属した。公儀御用のほかに囚人預り・行倒者・盗賊騒動・溢者・人違い召人のことなど一一ヵ条の規定をつくり、どこの村で騒動が起きても協力して事に当たり、入用は石高割、人足は軒別割など各村の負担を定めた(「組合相談規定」清和公民館文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「西粟倉村」の意味・わかりやすい解説 西粟倉〔村〕にしあわくら 岡山県北東端,中国山地にある村。村域の大部分が山地で,林業が主産業。養蚕,酪農も行われる。スギの美林があり,山菜も多い。若杉峠の天然林,あわくら温泉,大茅 (おおがや) スキー場などがあり,観光に力を注いでいる。北部と東部は氷ノ山後山那岐山国定公園に属する。国道 373号線が通じ智頭 (ちず) 鉄道が通る。面積 57.97km2。人口 1398(2020)。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報 Sponserd by