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吉野 よしの

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

吉野
よしの

徳島県北部,阿波市南東部の旧町域。吉野川下流北岸にあり,吉野川の支流宮川内谷川 (みやごうちだにがわ) の扇状地を占める。 1957年一条町と柿島 (かきしま) 村の一部が合体し吉野町が発足。 2005年土成町,市場町,阿波町と合体して阿波市となる。畑作中心の農業地で米,野菜栽培が行なわれる。中心地区の西条は阿波九城の一つ西条城の城下町として発展した。

吉野
よしの

奈良県南部の山岳地帯の汎称。面積は全県の6割にも及ぶが,人口密度はきわめて小さい。吉野川流域の口吉野 (くちよしの) と,熊野川水系の奥吉野とに分れる。大化改新後,吉野郡がおかれ,のち元正,聖武両朝のとき芳野監 (げん) に改められて国に準じられ,さらに大和の一郡となった。平安時代初期に金峯山 (きんぷせん) が開かれ,修験道本拠になった。交通が不便で隔絶性が強いため,古来亡命地となり,特に南北朝時代南朝方の根拠地となった。室町時代には,金峯山寺を末寺とする興福寺一乗院の支配となり,近世,その大半は天領となった。 (→大和国 )

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デジタル大辞泉の解説

よしの【吉野】[地名]


奈良県中部、吉野郡の地名。吉野川の中流域に位置し、木材工業が盛ん。南朝の史跡が多く、桜の名所として知られる。
奈良県の南半部、吉野郡の地域。また、吉野山の一帯。
吉野織り」の略。

よしの【吉野】[姓氏]

姓氏の一。
[補説]「吉野」姓の人物
吉野源三郎(よしのげんざぶろう)
吉野弘(よしのひろし)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

吉野 よしの

1606-1643 江戸時代前期の遊女。
慶長11年3月3日生まれ。京都六条柳町の林与次兵衛抱えで,14歳で太夫(たゆう)となる。諸芸と教養と美貌で,江戸吉原の高尾太夫とならび称された。寛永8年豪商灰屋紹益(じょうえき)に身請けされ,正妻となった。寛永20年8月25日死去。38歳。京都出身。本名は松田徳子。

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[日本酒・本格焼酎・泡盛]銘柄コレクションの解説

よしの【吉野】

兵庫の日本酒。蔵元の「八鹿酒造」は享保18年(1733)創業。所在地は養父市八鹿町九鹿。

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世界大百科事典 第2版の解説

よしの【吉野】

大和国南部の地名。狭義には吉野川流域の吉野山など表吉野をさすが,広義には十津川・北山川流域など奥吉野も含まれる。吉野川沿いの宮滝遺跡は,縄文・弥生以来の複合遺跡であるように,原始以来文化の発展がみられた。《日本書紀》には神武紀から吉野が登場し,吉野国神(くにつかみ),吉野国栖(樔)(くず)などの伝承が著名。宮滝遺跡にあったと推定される吉野宮(よしののみや)は同応神紀に初見し,壬申の乱において大海人(おおあま)皇子(天武天皇)は吉野に逃れてから挙兵,吉野宮にはとくに持統朝にしばしば行幸が行われた。

よしの【吉野】

江戸時代,京都の六条,島原遊里を代表した太夫の名。江戸吉原の高尾太夫と並び称される。もっとも《吉野伝》によると吉野を名乗る太夫は,江戸時代初期に限っても,10人以上いたという。なかでも有名なのは,六条柳町の林与兵衛家の2代目吉野太夫徳子(1606‐43)である。彼女は,京都の方広寺大仏の近くで生まれたという。生家俵藤太末裔と伝えるが,もとより信を置けない。一説に,父は西国の武士で浪人して上京,扇子紙を折って生計をたてていたが早世したため,彼女は娼家に養われることになったともいわれる。

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大辞林 第三版の解説

よしの【吉野】

◇ 奈良県吉野郡の町。吉野川に臨む。中心の上市は古くから市場町として発達し、桜の名所で南朝の史跡が多い。製材業が盛ん。
◇ 奈良県南部、紀伊山地中北部の吉野郡一帯の地域の総称。
「吉野桜」「吉野織り」の略。

よしの【吉野】

姓氏の一。

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日本の地名がわかる事典の解説

〔地域名〕吉野(よしの)


奈良県南部、吉野町を中心とする一帯を指す。
南北朝時代の南朝の遺跡が多く、また平安時代からの修験道(しゅげんどう)の本拠。古来、サクラの名所、また、吉野杉の産地としても名高い。

〔奈良県〕吉野(よしの)


奈良県南部の山岳地帯、あるいは吉野山のみをさす地名。名称は『日本書紀』神武(じんむ)東征紀に初出。紀ノ川上流(奈良県側)の吉野川の河谷をさしたとされる。のち吉野川以南の山岳地帯一帯をさし、また狭義には吉野川南岸の大峰(おおみね)山脈の前山(まえやま)でサクラの名所である吉野山とその付近のみをさした。奈良時代には大嘗祭(だいじょうさい)など重要な朝廷の儀式で舞を奏した吉野の山人たち、すなわち吉野国栖(くず)などの伝承で知られる。656年(斉明(さいめい)天皇2)に離宮がおかれ、古くから天皇家と深い関係をもっていた地域で、壬申(じんしん)の乱では大海人皇子(おおあまのおうじ)(のちの天武(てんむ)天皇)がこの地で挙兵、天武・持統(じとう)天皇らは頻繁に行幸した。1336年(建武(けんむ)3/延元(えんげん)元)、吉野山に逃れた後醍醐(ごだいご)天皇は行宮(あんぐう)を築き南朝を樹立した。吉野山から大峰山一帯の山々の総称である金峰山(きんぷせん)は、古くから修験(しゅげん)道の霊場で、吉野山には金剛蔵王(ざおう)権現が祀(まつ)られ、蔵王堂はじめ多くの僧坊を構えて金峯山(きんぷせん)寺(修験道金峯山派の本山)として発展。奈良・平安時代に天皇や貴族の参詣(さんけい)が流行した。

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世界大百科事典内の吉野の言及

【大和国】より


【古代】
 畿内に属する大国(《延喜式》)。添上(そふのかみ),添下,平群(へぐり),広瀬,葛上(かつらぎのかみ),葛下,忍海(おしうみ∥おしみ),宇智(うち),吉野,宇陀(うだ),城上(しきのかみ),城下,高市(たけち),十市(とおち),山辺(やまのべ)の15郡に分かれていた。大和国を地形的にみると,奈良盆地(国中),大和高原(東山中),宇陀,吉野の4地域に分かれる。…

※「吉野」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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