大名茶人の古田織部(1543―1615)の好みによって、幸阿弥長玄(こうあみちょうげん)(1572―1607)が厨子棚(ずしだな)に蒔絵(まきえ)したものをいう。『幸阿弥家伝書』によれば、第7代長晏(ちょうあん)の弟長玄について「十九歳ヨリ入道ス十六歳ヨリ茶湯ス古田織部長玄ニ好蒔絵ス、織部棚トテ厨子棚有此絵上梅之古木二段目三笑房ノ戸前柴垣外ハ香色之図ノ世間数多有之是長玄ノ作也」とある。現存例に国の重要文化財の虎渓三笑(こけいさんしょう)蒔絵棚(反町氏蔵)をはじめ、東京国立博物館、日光輪王寺(りんのうじ)などに数点を数える。なお、厨子棚とは、公家(くげ)調度の二階棚と二階厨子とを組み合わせてできたもので、室町時代の武家調度の一つである。
[郷家忠臣]
…関ヶ原の戦以後は徳川家に仕えた。その弟長玄は古田織部の指導によって厨子棚を制作し,これは織部棚と呼ばれて流行した。9代長法(?‐1618)は8代長善の弟。…
※「織部棚」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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