20世紀日本人名事典 「菊岡義衷」の解説 菊岡 義衷キクオカ ギチュウ 明治〜昭和期の僧侶 昆沙門堂門跡;延暦寺執行。 生年慶応1年8月29日(1865年) 没年昭和11(1936)年2月18日 出身地越前国(福井県) 経歴大正5年天台宗西部大学学長兼比叡山中学校校長となる。8年辞任。12年延暦寺執行、昭和2年宗機顧問に任じられ、4年京都山科の毘沙門堂門跡となった。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「菊岡義衷」の解説 菊岡義衷 きくおか-ぎちゅう 1865-1936 明治-昭和時代前期の僧,教育者。慶応元年8月29日生まれ。大正5年天台宗西部大学長兼比叡(ひえい)山中学校長となる。8年辞任。12年延暦寺(えんりゃくじ)執行(しゅぎょう),昭和2年宗機顧問に任じられ,4年京都山科(やましな)毘沙門(びしゃもん)堂の門跡(もんぜき)となった。昭和11年2月18日死去。72歳。越前(福井県)出身。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by