蚊野庄(読み)かののしよう

日本歴史地名大系 「蚊野庄」の解説

蚊野庄
かののしよう

現蚊野に比定される。弘仁二年(八一一)三月二日の近江国大国郷長解(東大寺文書)に蚊野郷とみえ、山城国右京の清江常世が大国おおくに(現愛知川町)墾田を当郷戸主蚊野公(依知秦公)成山に売っている。同一一年一二月五日、当郷戸主依知秦公成人は当郷一二条八長田里にある三町の墾田を正税稲七二束で依知秦公万歳麻呂に売っている(「墾田売券」根岸文書)。天治二年(一一二五)八月、当郷などにある一〇町の香御園こうのみその庄田の寄人による請作が安堵されている(「国司庁宣」早稲田大学所蔵文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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