愛知郡(読み)えちぐん

日本歴史地名大系 「愛知郡」の解説

愛知郡
えちぐん

面積:一〇五・四六平方キロ
愛東あいとう町・湖東ことう町・秦荘はたしよう町・愛知川えちがわ

県の東部中央部に位置し、現郡域は北から東にかけて犬上いぬかみ豊郷とよさと町・甲良こうら町・多賀町、東から南にかけて神崎郡永源寺町、西は八日市市、神崎郡五個荘ごかしよう町・能登川のとがわ町、北は彦根市に接する。かつての郡域は現永源寺町の北部と彦根市の南西部を含んでいたので、鈴鹿山脈の三重県境から琵琶湖畔まで、ほぼ北西流する愛知川北岸に沿って細長く延びていた。東部は鈴鹿山脈とその断層崖下に発達した洪積台地で、愛知川中流域より下流は愛知川と宇曾うそ川が形成した沖積平野で、琵琶湖岸には浜堤が発達し、曾根そね沼がある。現郡域西部を東海道新幹線・近江鉄道本線・国道八号がほぼ並行して通る。中央部東寄りを国道三〇七号が通り、その東を名神高速道路が通り抜けている。郡名の初見は和銅二年(七〇九)一〇月二五日の弘福寺田畠流記帳(円満寺文書)で、「依智郡田壱拾壱町壱段参拾陸歩」とある。古くは依智・愛智とも記され、郡名の由来は「朴市」からで、大きな市場のある所とする説がある。

〔原始〕

旧石器時代のものとして、秦荘町毛入堂けいりどう遺跡から柳葉形尖頭器、同町元持もともち遺跡から有舌尖頭器が発見されている。縄文時代の遺跡として、愛知川町なまず遺跡で晩期の土器片が発見され、秦荘町たけしり遺跡でも晩期末の土器の出土が知られる。弥生時代に入ると、愛知川町東円堂とうえんどう遺跡で石鏃が採集され、秦荘町矢守やもり遺跡から中期の土器が出土している。愛知川町いち遺跡から前・中期の土器が、さらに同町沓掛くつかけ遺跡からは後期の方形周溝墓と土器の出土が確認される。これらの弥生時代の遺跡は、いずれも愛知川と宇曾川に挟まれた自然堤防上に立地し、現在まで集落跡の発見はないが、愛知川水系右岸の弥生集落の展開を考えることができる。古墳時代では秦荘町長塚ながつか古墳・湖東町小八木東こやぎひがし古墳、同町小田苅こたかり古墳など中期の前方後円墳や、同じく中期の円墳の愛知川町山塚やまづか古墳が知られる。後期の古墳群については多数が知られている。当郡の古墳群のうちとくに注目されるものとして、県内最大級の大群集墳である秦荘町金剛寺野こんごうじの古墳群がある。現存するのは一七基だが、かつては二九八基の古墳があったという。当古墳群は竪穴系横口式石室を埋葬施設としてもち、この石室が朝鮮半島に類例がみられることから、渡来人と深く関係することが指摘されている。愛知川町塚原つかはら古墳は横穴式木室を埋葬施設とする特殊なもので、外来の葬法との関連が考えられる。

愛知郡
あいちぐん

面積:七四・四〇平方キロ
東郷とうごう町・日進につしん町・長久手ながくて

県の中央からやや西北寄りに位置するが、尾張としては東端にあたり、北は瀬戸・尾張旭の両市、西から南にかけては名古屋・豊明の両市、東は三河の豊田市および西加茂郡三好みよし町に隣接する。地形は一般に東が高く西に低く、標高三〇―一七〇メートル内外のゆるやかな起伏が続き、河川は、東南端を境川が南に流れて三河との国境をなす。中央部を天白てんぱく川、北部を香流かなれ川が、いずれも源を東部の丘陵に発して西へ向かい、名古屋市を経て前者は伊勢湾へ、後者は矢田やだ川に注ぐ。

「日本書紀」に年魚市あゆち郡、「延喜式」や「和名抄」には愛智あいち郡とあり、ほかに吾湯市あゆち(日本書紀)阿育知あいち(日本霊異記)阿由知あゆち(尾張国熱田太神宮縁起)などとも書かれるが、明確には「続日本紀」和銅二年(七〇九)の条に「尾張国愛知郡大領外従六位上尾張宿禰」とあるのを初出とみるべきであろう。以来、愛知あるいは愛智の文字が多く用いられてきたが、明治五年(一八七二)愛知が県名となり、郡名も同様に決まった。語源については「万葉集」に東風を「あゆの風」と詠む歌があるが、東風の吹く所とする説、アユは湧き出る意で湧水に富む所という説などがあって、一定しない。

郡域は時代による変化がはなはだしく、古代から中世までは現名古屋・豊明両市の過半を含み、北は山田やまだ郡、西は海部あま郡、南は知多郡に接し、伊勢湾にも臨んでいた。山田郡は、中世後期、北の春部かすがべ(春日井郡)と南の愛知郡に分割されたので、近世から近代にかけての旧郡の面積は、現郡の数倍に及んでいた。

〔原始〕

当郡(旧郡域を含む。以下同じ)は、主として低い丘陵や台地からなり、東から南へ伊勢湾が深く入り込んでいた。それらの縁辺や河岸段丘には、漁労生活を営む人人が早くから居住し、またその後に生じた沖積平野には稲作などの農耕も定着して、縄文・弥生両時代の各期にわたる遺跡や出土品は非常に多く、西南部の古い海岸や河岸沿いに広く分布している。代表的なものに粕畑かすはた貝塚(名古屋市南区)、国指定史跡の大曲輪おおぐるわ貝塚(瑞穂区)見晴台みはらしだい遺跡(南区)などがある。古墳は四世紀にさかのぼるものはみられないが全域に分布する。四仏四獣鏡が出土し、隠滅した大須二子山おおすふたごやま古墳(中区)は大型の前方後円墳として知られる。熱田神宮に近い断夫山だんぷやま(熱田区)は尾張最大の前方後円墳で、日本武尊の伝説で名高い宮簀媛の墓といわれ、その北方から東北方にかけて高蔵たかくら城山しろやまなどの円墳群が多い。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報