蛮勇演説
ばんゆうえんぜつ
第2議会で衆議院解散の一因となった樺山資紀(すけのり)海相の演説。1891年(明治24)12月22日,衆議院本会議の予算審議の際,軍艦建造費削除の動きに怒った樺山海相は「薩長政府トカ何政府トカ言ッテモ,今日国ノ此安寧ヲ保チ,四千万ノ生霊ニ関係セズ,安全ヲ保ッタト云フコトハ,誰ノ功デアル」と演説し,議場が混乱した。藩閥政府の本音をあえて口にだしたというのでこの名がある。衆議院は同月25日に解散した。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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蛮勇演説
ばんゆうえんぜつ
1891年12月,第2議会における海相樺山資紀 (すけのり) の演説
薩摩藩出身の海相樺山は民党の軍艦建造費削減要求に対して,薩長藩閥政府擁護の演説を行い,議場は混乱し,削減案は可決されて議会解散となった。
出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
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世界大百科事典(旧版)内の蛮勇演説の言及
【樺山資紀】より
…警視総監,陸軍少将,海軍次官を経て,1890年第1次山県有朋内閣の海軍大臣となり,第1次松方正義内閣に留任。〈日本の今日あるは薩長内閣のためなり〉との〈蛮勇演説〉は有名。日清戦争では海軍の作戦を指導し,95年大将,戦後初代台湾総督となった。…
※「蛮勇演説」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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