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演説/演舌 エンゼツ

デジタル大辞泉の解説

えん‐ぜつ【演説/演舌】

[名](スル)
大勢の前で自分の意見や主張を述べること。「税制について―する」「選挙―」
道理や意義を説き明かすこと。
「宿老畏まって一々に是を―す」〈太平記・一一〉

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世界大百科事典 第2版の解説

えんぜつ【演説】

ギリシア時代には,ポリス(都市国家)で政治家が勢力を得るためにも,自分を守るためにも,全市民が出席する民会,代表者の構成する評議会などでまず聴衆を説得・扇動して,議決,選挙などの投票に勝つ必要があった。また各ポリス間の勢力争いも激しく,相互間の同盟・離反の関係はしばしば変遷したので,政治家はポリスの使節として演説によって他のポリスを味方にひきいれることも,自分の立身のためにたいせつであった。このように演説はひじょうに重大な国家的,社会的な利害にかかわる意味を持っていた。

出典 株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

演説
えんぜつ

多数の人の前で自分の意見や主張を述べる方法。古代ギリシア・ローマ時代に発達した。弁論術の大家としては、ギリシアの哲学者ゴルギアス、その弟子でアテネの法廷演説家イソクラテス、イサイオス、イサイオスに修辞を学んだデモステネス、その論敵のアイスキネスなどがあげられる。ローマではキケロ(そのカティリナの陰謀を摘発した演説はとくに有名)、カエサルの追悼演説に雄弁を振るって人望を集めたマルクス・アントニウスなどがいる。このような雄弁術は、ポリス(都市国家)における古代市民の自由から生まれたもので、アテネにもっとも多くの演説家が出たが、帝政の成立とともにこのような演説はとだえ、中世では説教がそれにかわった。議会制度がおこると議会の政治演説が盛んになり、イギリスでは、雄弁で頭角を現したピット、ヘースティングズのインド統治政策を弾劾したE・バーク、C・フォックス、R・シェリダンらの演説が知られている。最近ではW・チャーチルが「その優れた文章と演説は英語とともに残る」と賞賛された。
 日本で演説が始まったのは明治になってからである。スピーチspeechに演説の訳語を与えた福沢諭吉(ふくざわゆきち)は『学問のすゝめ』のなかで「我国には古(いにしへ)よりその法あるを聞かず 寺院の説法などは先(ま)づ此類(このたぐひ)なる可(べ)し」と説いているが、1873年(明治6)夏ごろから慶応義塾のなかで有志の者と演説討論の練磨を始め、翌74年三田(みた)演説会を創設、7月1日第1回弁論会を開いた。これが日本における演説の創始で、75年5月三田演説館が竣工(しゅんこう)すると、定期的に公開演説会を開催した。また森有礼(ありのり)らの明六社(めいろくしゃ)の会合でも74年冬から演説が始まっている。
 明治10年代に入ると国会開設請願や自由民権運動の高まりとともに、三田系や小野梓(あずさ)の共存同衆、沼間守一(ぬまもりかず)の嚶鳴社(おうめいしゃ)のほか種々の結社が結成され、演説会を開催した。しかし、政府は1878年7月演説取締令を布告、79年5月には官吏の演説を禁止、80年4月には集会条例を公布して政談演説に弾圧を加えた。そのため議会開設後、政治家は議政壇上で雄弁を振るうことになり、文化・時局演説は大衆啓蒙(けいもう)の講演会に形を変えていった。名演説家としては、島田三郎、犬養毅(いぬかいつよし)、尾崎行雄(ゆきお)、永井柳太郎、鶴見祐輔(つるみゆうすけ)などがいる。斎藤隆夫(たかお)の粛軍演説(1936年の二・二六事件の直後)、反軍演説(1940)も有名である。[春原昭彦]

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