蝦夷松前図(読み)えぞまつまえず

日本歴史地名大系 「蝦夷松前図」の解説

蝦夷松前図
えぞまつまえず

三四×四六センチ 木版色刷 長久保赤水 寛政年間頃 明治大学図書館蔵

解説 水戸の地理学者長久保赤水が、天明年間の幕府の蝦夷地調査隊作製の諸地図に基づいて木版で刊行した蝦夷地図。「本蝦夷地」(北海道)、「唐太嶋」(カラフト島)、「蝦夷ノ千島」(千島列島)輪郭は蝦夷輿地全図に依拠しているので、蝦夷島や南千島諸島は印刷図としては初めて実際に近い形で示され、北千島諸島は最上徳内がエトロフ島で出会ったロシア人イジュヨからえた情報に基づいている。カラフト島の輪郭は偏平で不格好であるが、それはカラフト南部のみの形である。蝦夷島とカラフト沿岸の多数の地名は最上徳内の蝦夷風俗人情之沙汰附図のうち蝦夷之図と唐太島之図を参考にしたと思われるが、アイヌ語名にロシア語の番号付けを併記したチリポイ島以北の北千島諸島は蝦夷風俗人情之沙汰附図の全図を利用している。ハボマイ諸島とシコタン島も初めて明確な形で島名を付して描かれているが、それも上記の蝦夷之図によるものである。以上のようにこの地図は当時としてはもっとも正確で情報量に富んだ日本北辺図であったが、木版刊行図の割には流布が少なかったように思われる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の蝦夷松前図の言及

【長久保赤水】より

…彼が刊行した地図の種類の豊富さおよび後世への影響の大きさは,江戸時代でも例が少ない。おもな作品としては,森幸安の図の模倣ながら刊行図として初めて経緯線を記入した《改正日本輿地路程全図》(1779)をはじめ,清の康熙年間に成った洋式中国全図(《皇輿全覧図》)を利用した江戸時代最大の刊行中国図《大清広輿図》(1785),東洋ではおそらく山河,境域に着彩した最初の歴史地図帳《唐土歴代州郡沿革地図》(1790),直接には原目貞清の図(1720)を改訂したマテオ・リッチ卵形世界図《地球万国山海輿地全図説》(1788ごろ),1785‐86年(天明5‐6)の幕府第1次蝦夷地調査隊作成図による《蝦夷松前図》(1795ごろ)を挙げることができる。このほか《長崎行役日記》《東奥紀行》などの旅行記,水戸藩領民の漂流についての《安南国漂流記》などがある。…

※「蝦夷松前図」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android